今回は、ベアードブルーイングのベアード さゆり さんにお話を伺いました。
はじめに
ベアードブルイングは、ベアード・ブライアンさんとさゆりさんの夫妻により立ち上げられたクラフトビールを作るブルワリー(醸造所)である。日本におけるアメリカンスタイルのクラフトビールの製造・販売においては草分け的な存在で、少しでもクラフトビールに興味を持った方であれば知らない者はいないだろう。
創業は2000年、沼津で小さなブルワリーとして始まり、現在は伊豆・修善寺の工場でビールの製造を行っている。東京や横浜にも早くから出店し、ベアードからの出身者も多く新しいブルワリーを立ち上げるなど、静岡のみならず日本のクラフトビール業界においても大きな存在感を持っている。
私自身、仕事柄アメリカやイギリスに赴くことが多く、ホップの効いたペールエールなどの美味しさに気付いてしまった一人であり、もちろんベアードビールをはじめとした静岡のクラフトビールは日頃から楽しんでいる。
今回はそんなベアードブルーイングの直営店、ビールステーション三島にお伺いし、創業者であり副代表を務めるベアードさゆりさんにお話しを伺う機会をいただいた。【前編】

ベアードのこだわり
地ビールからクラフトビールへ
今の時代、クラフトビールと聞いて”それは何?”という大人は少ないだろう。最近では大手ビールメーカーもクラフトビールと銘打った商品を販売しているし、コーヒーやジン、果ては日本酒にまでクラフトの名を冠するものが溢れている。
そもそも、クラフトビールはどのような経緯で日本において普及してきたのか。
かつて日本で”地ビールブーム”が起きたのを記憶されている方も多いだろう。この地ビールブームは1994年の法令改正がきっかけで起こった動きである。それまでビールを製造する免許を取得するためには年間2,000kL以上の生産能力が必要であったのに対し、この年の酒税法改正により年間60kL以上まで要件が引き下げられた。これにより比較的小規模な事業者もビール業界へ参入できるようになったのである。
ただ、この地ビールブームは2000年頃に一旦下火となる。色々な理由が語られているが、一朝一夕で高品質なビールを作る技術が育たなかったこともあるだろう。また、ブームの沈静化後は年間60kLと言えどもなお採算を維持するには過大な生産力だったようであり、多くの事業者が撤退を余儀なくされている。一方でこの苦難の時期を乗り越えて高品質なビールを作り出してきた一部のブルワリーは今日のクラフトビールブームを牽引している。

ベアードブルーイングは、そんな地ビールブームが終焉を迎える頃に立ち上がり、本場アメリカ流の製造方法を持ち込んだ。当時はドイツやベルギーのスタイルのビールが流行の中心であったのに対し、近年はアメリカやイギリスによく見られるホップが効いたエール系のものが広く浸透してきたが、日本におけるこのスタイルの普及にベアードが貢献してきたのは間違いない。
ビールへの想いと情熱
熱心なファンでなくてもスーパーなどでご覧になった方であれば説明は不要であろう。ベアードビールは種類が非常に豊富である。実際、レギュラーメニューだけで12種類、さらに期間限定のビールなどを加えれば年間40〜60種程度のビールを製造している。
この多様性を伝えることこそ、ベアードがビール作りを通じて消費者に訴えていきたいことだとさゆりさんは言う。

「どうしても日本でビールというと大手が作るピルスナーがほとんどで、ビールの種類から言うと全体の1%くらいなんですね。あとの99%を伝えていくのが私達のような小さな会社の使命だと思っているんです。」
もちろん大手が作るビールも非常にバランスが取れていて美味しいし、それが広く受け入れられてきた歴史的背景もあるだろう。ただ、長く大手が手掛けてきた売れ筋の商品は、メーカーが違えど皆同じ種類のものなのだ。
「最初の見た目や香り、口に含んだ後ののど越しとか飲み終わった後の余韻も、これまでに無かったものだな、ゆっくり味わうビールもあるんだな、というように意識を変えてもらいたいですね。そこに歴史があることも知って欲しいんです。」
それでも単に種類を増やせば良いというものでない。例えばホップはペレットではなく生ホップを使用するといったこだわりは決して揺らぐことはない。確かな品質と信念を貫いた上で、多様性を追求しているのだ。
「昔はあったけど今は作られていないスタイルとか。あとはコーヒーやスパイスを加えたり、遊び心はありつつも基本はしっかりした、ビールとして美味しいものを作りたいんです。それによって複雑味が増えたり、奥深さが増えたりするんですが、バランスと複雑さの両立は難しいんです。」
Balance、Character、Complexity(バランス、個性、複雑さ)。この3点がベアードが考えるビールの基本的な哲学となっている。例えどんなに珍しい材料を使って他に無いものを作っても、全体のバランスが取れていなければベアードのビールとして相応しくはないということだ。

このようなビール作りを強く推し進めているのは、創業者であり、また代表としてベアードを牽引するベアード・ブライアンさんのビールに対する熱い想いに他ならない。日々、仲間のブルワーと常に新しいメニューを精力的に考えているという。
「ブライアンはとても情熱的なんですが職人かたぎでもあって、青い目のサムライなんて呼ばれたりもしているんです。子供の頃は応援しているアメフトのチームが負けるとすぐ怒っちゃう子だったので、彼のお母さんが”Angry Boy”というニックネームをつけたくらいなんです。ラインナップにあるAngry Boyというビールの名前はそこに由来しているんですよ。」
さて、これだけ多くの種類があってどれから手を付けたらいいか迷ってしまう方もいるだろう。難しいかもしれないがこの中からひとつ、最初の一杯としてお勧めするものはどれかを聞いてみた。
「ライジングサン・ペールエールですね。柑橘系のホップを使っているんですよ。」
取材が終わった後、購入させていただいたのは言うまでもない。
創業期
沼津での創業
ベアードブルーイングはどのようにして産声を上げたのであろうか。1990年代後半の地ビールブームの流れの中で創業したベアードであるが、その成り立ちは他とは一線を画していた。
当時のブルワリーは、既に何等かの事業を行っている企業が新市場への参入として立ち上げる形がほとんどであった。製紙業、食肉加工業など異業種からの参入も多くあった。それらに対し、ベアードブルーイングは何の素地もなく、ゼロからブルワリーを立ち上げたのだ。
ブライアンさんは米国で日本の文化や経済を学び、英語教師として来日。再び米国の大学院で日本について学んだ後、東京にある米国企業の日本支店で働きはじめた。さゆりさんと出会った後、日本中の地ビール巡りをしていく中で自分たちが本当に好きなビールへの想いが強くなった。
恐らくその頃は個人でビールを作って起業するなど、日本人にはなかなか思いつかなかっただろう。どうしても自分の好きなものを実現したいというビールへの想いと、起業家精神溢れるアメリカ人であるブライアンさんだからこそ実行に移すことができたのだと想像する。
そのような想いから、本場アメリカでの修行を決心する。さゆりさんもブライアンさんとともにアメリカに渡った。
その後、ビール醸造の指導者として沼津に来ることになり、そのまま自身の店を構えるに至った。今でも当時と変わらず沼津港近くで営業しているフィッシュマーケットタップルーム。ここにベアードブルーイングの歴史が幕を開けたのである。

当然、このようなブルワリーを始めるには行政からの許可、つまり酒類製造免許の取得が必要である。その中でも清酒やビール、発泡酒といった分類がなされ、取得するための要件がそれぞれ異なっている。
ここまで聞くと、ビール製造免許を取得するのが当然と思われるだろう。もちろん当時はどのブルワリーもビール製造免許を取得して事業を開始していた。しかし、ベアードブルーイングは発泡酒製造免許を取得することで事業を立ち上げた。
これは発泡酒の方が免許取得の要件が容易であるからだ。ビール免許は年間60kLの製造能力が必要であるのに対し、発泡酒は6kLと遥かに小さい規模で免許を取得することができる。
ただし、大手が発泡酒をビールの安価な代替品という位置づけで商品展開をしていたことから、その言葉のイメージは必ずしも良くはなかった。実際には発泡酒にも種類があって、税金が安くなるのはその中でも一部だけであり、それ以外はビールと変わらない税金が掛かるにも関わらずだ。
しかしながら、マイクロブルワリーであるベアードに選択肢はなかった。
「最初は30Lのタンクしかなかったので、毎日毎日作っても年間6kLは大変でした。それでも他にエールを作っている人はいませんでしたし、自宅でのレシピ開発に使うだけのような規模だけれども、まずは今ある設備でやってみよう、という風に始めたんです。」
このようにして、日本で一番小さなブルワリーとしてベアードブルーイングは事業を開始した。
実際には発泡酒の方が材料の制約無しに商品を開発できるという点では有利であり、海外の有名なビールも日本の法律に照らし合わせると発泡酒に位置付けられることもある※。
「ビールとして決められた材料以外を入れると発泡酒になるんです。例えば口当たりを良くするために大麦を入れるだけで発泡酒になってしまうんです。」
ここからベアードは様々な材料を使ってビールの多様性を具現化していくのである。
(※2018年の法改正で一部変更あり)
困難な道のり
沼津にブルワリーを併設したタップルームを立ち上げたものの、当初は集客に苦労した。お店があるのは駅前の繁華街ではなく港の方であるし、そもそもクラフトビールというものが理解されなかった。
「価格は高いし温度もぬるい、炭酸の刺激も弱すぎるとよく言われました。”温度が低すぎると良いフレーバーが出てこないし、自然発酵のみによる炭酸なのでこれが本物なんですよ”と、ずっと言い続けてきたんです。」
今でもまだ、ビールといえばキンキンに冷えていてグイっと飲み干すのが日本における共通認識といって良いだろう。それならば、日本人に合うような変化を加えたんですか?という質問を投げかけたところ…
「妥協は一切なし!」
とのまっすぐな答えがさゆりさんから返ってきた。(今思えば愚問であった)

確かに不利な条件は多かったが、それでも本当に良いものはいずれ誰かに見つけてもらえるものだ。
「創業当初は全然近所のお客さんはいなくて、代わりに週末に関東からお客さんが来てくれるようになったんです。ちょうどインターネットも普及しはじめた時期で、口コミで広がっていったんです。」
東京や神奈川の飲食店から樽での引き合いがあり、首都圏で口コミを通じて徐々に認知度が高まってきた。
「東京の両国にある、今ではクラフトビールの聖地と呼ばれているような有名なお店で扱ってもらえるようになってからお客さんがたくさん来てくれるようになったんです。」
もちろん沼津時代からの地元のベアードファンも多い。今回の取材は三島のお店で行わせていただいたのだが、出入りするお客さんの中でも”あの方は沼津の頃からの常連さんなんですよ”などとさゆりさんが教えてくれることもあった。
【中編】【後編】に続く↓
■ 会社・店舗案内
ベアードブルーイング
〒410-2415 静岡県伊豆市大平1052-1
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