今回は、ベアードブルーイングのベアード さゆり さんにお話を伺いました。
はじめに
ベアードブルイングは、ベアード・ブライアンさんとさゆりさんの夫妻により立ち上げられたクラフトビールを作るブルワリー(醸造所)である。日本におけるアメリカンスタイルのクラフトビールの製造・販売においては草分け的な存在で、少しでもクラフトビールに興味を持った方であれば知らない者はいないだろう。
創業は2000年、沼津で小さなブルワリーとして始まり、現在は伊豆・修善寺の工場でビールの製造を行っている。東京や横浜にも早くから出店し、ベアードからの出身者も多く新しいブルワリーを立ち上げるなど、静岡のみならず日本のクラフトビール業界においても大きな存在感を持っている。
私自身、仕事柄アメリカやイギリスに赴くことが多く、ホップの効いたペールエールなどの美味しさに気付いてしまった一人であり、もちろんベアードビールをはじめとした静岡のクラフトビールは日頃から楽しんでいる。
今回はそんなベアードブルーイングの直営店、ビールステーション三島にお伺いし、創業者であり副代表を務めるベアードさゆりさんにお話しを伺う機会をいただいた。【中編】
【前編】はこちら↓
事業拡大
東京への進出
過去の地ビールブームにおいてビールは地元の新たな名産品として位置付けられ、観光客をターゲットとして大型観光バスが乗り付けてくるような所に、どことなくドイツっぽい雰囲気と料理を提供するような場所が多かったように思う。少なくとも静岡県東部ではそんな感じだった。
では沼津で小さく始まったベアードの次の一手は何だったかというと、”東京進出”である。
「市場のあるところに行かないとだめだと思ったんですね。製造能力を1,000Lに拡大したのを機に直営店で販売しようと思ったんです。」
市場の大きさもさることながら、ブライアンさんもさゆりさんもかつて東京で暮らしていたこともあり、馴染みのある場所は多かった。そもそも東京でベアードを知ってくれたお客さんがわざわざ沼津まで来てくれていることを考えれば、東京への出店は自然な流れだったのだろう。
東京での最初の店舗は中目黒。その後、原宿、高田馬場、横浜の馬車道などと出店を続けていく。こだわったのはビールだけではない。店舗ごとに異なる趣きの料理が提供されており、中目黒はピザ、原宿は焼き鳥、馬車道はバーベキューなど、各店舗にそれぞれこだわりのメニューを揃えている。
「一番最初は沼津のお店をそのまま持っていこうと思ってメニューも同じにしていたんですけど、東京でやるには家庭料理過ぎたのかあまり受け入れらなかったんですね。それでちょっとコンセプトを変える事にしたんです。」

さらに料理単体の美味しさにこだわるだけではなく、ビールとの相性を踏まえ、あくまでビールが主役になるようにメニューを考えている。例えば中目黒のピザは、ボリューム感よりもスモーキーさやあっさりとした味付けが特徴のニューヘイブン・スタイルを選んでいる。元々は常連さんの中にホテルでシェフを務めていた方がおり、その方がニューヘイブン・スタイルのピザを作りたいという話になったので、じゃあ一緒にやろう、ということになったのだそうだ。
「こういうのをやりたいと思っている時に、たまたまそういう人に出会うという偶然もあったんです。」
同じように馬車道で提供されるメニューは、趣味と言いつつ本格的にバーベキューを楽しんでいたアメリカ人のお客さんとの協力により実現した。なんと、わざわざアメリカまで視察に赴いた上でこだわりのソースを開発している。低温で長時間(Low & Slow)調理しなければならない肉料理はなかなか日本の店ではお目に掛かれない。とても”ちょっとしたビールのお供”に収まる料理ではない。
「やるんだったらしっかりした本物をやりたいんですね。なので、ピザもバーベキューも、ちゃんと勉強してから提供するようにしたんです。」
自分たちが作るものは、きちんと本場に行って勉強をしてから。ベアードにとって一切の妥協を許さないのはビールだけではないのだ。
新たなスタイルの店舗
こだわりの料理についてご紹介した後ではあるが、近年はそれらとは正反対のコンセプトの店舗もオープンしている。
今回取材を行わせていただいたビールステーション三島。ベアードの地元とも言える場所ではあるが、意外にも2023年末にオープンした現時点で最も新しい店舗である。さらにその一つ前に開いた店舗は2020年、大阪の天満にあるベースステーション関西である。
これらの店舗のネーミングが他の店舗のような”タップルーム”となっていないのは、従来とは異なるコンセプトで運営されているからだ。これらの新しい店舗では軽いおつまみしか提供しておらず、本格的な料理は無い。さらに、食事の持ち込みが自由というシステムを採っている。
「これから増やしていくお店では、クラフトビールやベアードをよく知らない方にも気軽に来てもらえる雰囲気にして、ビール自体をもっと発信していきたいと思っているんです。」
つまり、本格的な食事や宴会を行う場所ではなく、”ビールを楽しむために”ふらっと立ち寄ってもらう、そんなスタイルを想定しているのだ。

「ここ(ビールステーション三島)に来てから色んなお店を回られるというお客さんが多いですね。軽く飲んでからどこかに食べに行くという感じで。」
つまり、いわゆるゼロ次会であったり、二次会で来てくれる方も多いということだ。徒歩圏のご近所さんが一人で気軽に立ち寄れる場所にもなっている。
ビールに加えてこだわりの料理まで提供するのか、反対に持ち込みもOKのビアスタンドとするのか。中途半端な選択肢は採らず、妥協無しに良いものを追求するベアードの姿勢がここにも感じられる。
三島でパブクロールを
せっかくなので、もう少し三島店の出店の経緯を深堀りしてみたい。
東京や関西にも出店するスケール感で事業を展開していたこともあり、”沼津にお店があるのに、こんなに近くの三島にも店を出すのか?”という疑問がブライアンさんの中に少なからずあったらしい。
それでも三島広小路駅の付近に住んでいたこともあるというベアード夫妻。人出の多いエリアがどこであるか、土地勘は元々持っていたとのこと。三島駅、三島広小路駅、三嶋大社に囲まれた、まさに三島の中心とも言える場所への出店は即断即決だったという。
「ちょうど狙っていた範囲の中だったので、ここが空き店舗になっているのを見つけてすぐ不動産屋さんに電話しました。たまたま知り合いの不動産屋さんだったので、ああベアードさんですね、って話がどんどん進んだんです。」
実際に店舗を出してみると新しいお客さんが多く訪れ、沼津と三島では商圏が異なるのだということを実感されたようである。ビールステーション三島はガラス張りの店舗であり、車に乗っていても気付きやすい。もちろん観光客もよく通る道だ。これからもどんどん新しいお客さんがやってくるだろう。

三島への出店は他にも意図するところがあった。三島駅から三島広小路駅にかけてのエリアには近年クラフトビールを提供する飲食店の出店が続いているのだ。
「三島では結構クラフトビールが盛り上がってきているから、そういった店をはしごできる環境ができたらいいなと、ちょうどこの辺りに出店できたらいいなと思っていたんです。そう思っていたエリアのど真ん中に出店できて最高でした(笑)。」
このようにビールをはしごして楽しむことをパブクロールと言うらしい。昔から、”観光客は来るが泊まらない”と言われてきた三島。散策がてら様々なクラフトビールを楽んで、気分が良くなったらそのままゆっくり宿泊…といったパブクロール中心の観光モデルコースをアピールしていくのはどうだろうか。
修善寺での挑戦
工場の移転
ベアードブルーイングの歴史において欠かすことのできない大きな転換点がある。2014年、沼津から修善寺への移転である。
これは、単に大きな工場を建てたというだけでない。本社機能の移転と、その他様々な挑戦を実行に移すことを目的として、修善寺へと大々的に引っ越したのである。
実に3年間も新天地を探していたのだそうだが、伊豆市長からの直接の提案によりこの地に移転することが決まった。ベアードの移転にとても協力的になってくれた市長は、なんと十数箇所もの場所を提案してくれたのだそう。
「本当は沼津でずっと探していたんですがなかなか良い場所が見つからなかったんです。そんな時に地元の議員さんから伊豆市長さんを紹介いただいて、実は伊豆市長さんもドイツにいた時代があったということで、ビール好き同士、話が合ったんです。」
結果として修善寺駅や温泉街から少し南下した、広大なキャンプ場の跡地に大規模な工場を建設することとなった。偶然にも狩野川のほとりという点は沼津フィッシュマーケットタップルームとの共通点となった。

これによって生産能力も沼津時代の1,000Lから6,000Lへと大幅に拡大した。テイスティングができるタップルームも併設し、また工場見学もできるようにした。
「一つの場所で将来的な拡張性も持っているところを探していたので、本当に良い場所でした。」
ホップをはじめとした、ビール製造に使用する材料の品質を重視するベアード。修善寺の広大なエリアへの移転では自家農園を運営することでビールの材料となる農作物を自らの手で生産する、というのも大きな目的の一つであった。
しかし、広大な敷地を確保したものの土地は荒れ果てており、そう簡単に新しいことを始められる状態ではなかった。
「農園でのホップ作りも始めたかったんですが土を掘り返したらゴミだらけだったし、不法投棄された家電製品なんかも出てきたりして。最初はそこからだったんです。何かを作り始めるまで3年くらいを土の改良に費やしました。」
構想にあった農園を実現するには相当の努力が必要だった。苦労のかいあって、今では自家製ホップや果物を栽培する環境が整っている。ビール作りに使う果物などはこの自家農園で採れるものを中心に、無農薬・有機栽培にこだわっている。
キャンプ・ベアード
今でこそ、どこかで誰かが急に”キャンプ場を始めました”といっても何も違和感はないだろう。だがベアードがキャンプ事業を始めたのは2018年。昨今のキャンプブーム以前の話である。これは、図らずも時代を先取りした結果となった。
「最初からキャンプ場をやろうとしていたのではなく、たまたまだったんです。醸造用の設備も新しくなったので、まず最初は本業であるビール作りにしっかり専念して、ちゃんと軌道に乗ってからと思っていたので、始めるまで4年くらいかかってしまったんですね。」
元キャンプ場であったとは言え、”元”は”元”である。キャビンなど長年放棄された施設はとてもそのまま使用可能な状態ではなかった。樹木の伐採や施設のリノベーションなど、クラウドファンディングを活用したベアードのキャンプ・チームのたゆまぬ努力によりキャンプ事業は立ち上がった。

修善寺への移転後、2020年頃からはコロナ禍の脅威が襲いかかる。お酒を提供するベアードブルーイングも例に漏れず、経営的に苦しい時期を迎えることになる。
思い返せば1990年代の地ビールブームにおいて、ビール製造免許の要件を満たすために大規模な製造能力を備えたブルワリーがブームの沈静化とともにその設備を持て余して経営に行き詰まった歴史がある。大きな設備を持つという事は、それだけのリスクを背負うということである。
それでもベアードはこの苦境を乗り越えた。飲食店の営業時間が制約を受ける中、タップルームは可能な限りの営業を行ったが、それに加えてキャンプ事業による売上の貢献は大きかった。
「ビールの方は売上が大幅に落ちてしまったので、キャンプをやっていて本当に助かったんです。」
さらに、キャンプ事業の立ち上げこそベアードファンがサポートしてくれたものの、コロナ禍を機に多くのキャンプ愛好家がベアードを訪れ、そこでベアードビールのファンになるという嬉しい誤算も起きているのだとか。
「みんなキャンプ場を探していて、たまたま来てみた所がビール屋さんだった、という方がびっくりするくらい多くて。これが良いプロモーションになって、お家飲みでベアードビールを選んでくれたりとか、コロナ後には東京のタップルームに来てくれたりとか、良い相乗効果になったと思います。」
伊豆のキャンプ場でベアードを知って東京のお店に行くという、面白いことに創業時とは逆のルートでベアードファンが増えたということだ。キャンプ・ベアードは今となっては欠かすことのできない事業の柱となっている。
ベアードのファミリー
ブランド力を支えるデザイン
ベアードの豊富なラインナップの中に、”The Carpenter’s Mikan Ale (大工さんのみかんエール)”という製品がある。もちろん世界的に有名な往年の兄妹ミュージシャンのことではない。文字通り大工さんとのご縁により作られたメニューなのだ。
その大工さんとは長倉さんという方で、ベアードファンであれば知らぬ者はいないという。ベアードのWebサイトなどを見ていると、実はちょくちょくお顔を拝見することもできる。
”The Carpenter’s Mikan Ale”もカーペンターこと大工の長倉さんのご実家のお庭で育ったみかんを使って作り始めたのが起源なのだそう。ベアードにとって今では当たり前となっているフルーツビールもこの商品が最初であったという。当時は資金的にも余裕が無かったこともあり、長倉さんからの差し入れをありがたくいただいてビール作りに活用したそうだ。
そんな長倉さんとの出会いは創業の立ち上げ時、設備のリサイクル業者さんからの紹介であった。最初の沼津の店舗づくりはベアード夫妻からのリクエストで作り上げたが、その後は長倉さん自身にベアードが表現したいお店のイメージを直接共有してもらうようになった。
「アメリカのビアフェスやパブにも一緒に来ていただいて、建物の雰囲気とかを勉強してもらったんです。多分10回くらい行ったんじゃないかな。最初はパスポートも持っていなかった長倉さんはブライアンと出会って、”こいつは俺を世界に連れて行ってくれるかもしれないとピンときた!”といつも言っているんです(笑)。彼の強みはウッドの使い方。カウンターにはいつも良い素材を使ってくれるんですよ。」

長倉さんはベアードの全てのタップルームの施工を担ってきている。タップルームの、まるでアメリカのバーやイギリスのパブに来たかのような異国情緒を漂わせているデザインの内外装は、この長倉さん抜きには語れない。三島店の開業に際しては、その工事を行っていた長倉さんを目撃したファンにより、ベアードによる公式発表前に新店舗の場所が特定されるという珍事まで起こっている。
もう一つ、ベアードのブランド力を支える要素として、あの特徴的なラベルデザインに触れないわけにはいかない。これらのラベルは大きなスーパーの棚に並んでいても、決してベアードビールを”その他大勢”にさせない強力な発信力を持っている。

このデザインを手掛けているのはグラフィックデザイナーの西田栄子さんという方である。西田さんとは知り合いを通じて出会い、仕事をお願いするようになったそうだ。
「最初はラベルも普通に絵として描いていただいていたんですが、あるとき西田さんが”大工さんのみかんエール”のデザインを版画で持ってきてくれたんです。ベアードビールの素朴さなどをもっと伝えられないかと考えて、それを版画として彫ってみたらすごく良かったのでぜひ見てもらいたいと言って。それを見て、これいいね!という感じになって、以降は版画によるラベルデザインになったんです。」
ベアードのラインナップにある定番のビールはぜひそのラベルをよく見てみて欲しい。どこかにホップが描かれているはずだ。堂々と前面にホップが鎮座している場合もあれば、まるでかくれんぼをしているかのようなものもある。ホップを大事にするベアードの信念と、少しほっこりする遊びのセンスが感じられる奥深いラベルである。
国際派なスタッフ
そもそも代表であるブライアンさんがアメリカ出身ということや、アメリカでビール作りの修行をし、ピザやバーベキュー、店舗作りもアメリカに赴いて調査や研修を行うなど、アメリカとの縁はベアードにとって欠かせないものとなっている。スタッフの面々もアメリカの方や英語が得意な日本人が多く揃っている。
「沼津の最初の頃は、近所の英会話教室や高校の英語教師の方が集まってきてくれたんです。」
アメリカをはじめとした外国の方にとってみれば、難しい日本語よりも英語で気兼ねなく過ごせる場所はとても大事なのだろう。東京の店舗も含めて、ベアードのタップルームは近隣の外国人が集まるコミュニティの場にもなっているそうだ。
お客さんとして来店するにとどまらず、そのままベアードのスタッフとなって活躍する方も多い。英語講師として来日したが日本人と結婚し、引き続き日本で仕事のキャリアを積みたいという方にとっては、社内で英語が普通に使えて、何より大好きなビールに関われるというのは願ってもいない環境だろう。
その中でも東京コメディバーとの繋がりは興味深い。東京コメディバーとは、外国人コメディアンがアメリカ流のスタンドアップコメディ(日本で言えば漫談だろうか)を披露する、渋谷にあるバーである。
最近、ベアードの様々なイベントで東京コメディバーのコメディアンたちによるステージが行われることがある。これは元々ベアードで働いていたスタッフが東京コメディバーのマネジャーを勤めていることで始まった関係なのだ。

「その人は”ベアードも大好きだけどコメディアンになるのが夢だから、ベアードを辞めるかすごく悩んだけど、どうしても。”といって東京コメディバーに移ったんです。ただ、その後もベアードが大好きだからと言ってくれて、今のような繋がりができたんです。修善寺のイベントの時でもこっちに来てくれたりするんですよ。」
この縁で、テレビでも良く見かける超有名なインテリ系外国人芸人も沼津のタップルームに来たことがあるそうだ。
海外とのつながりと言えば、ベアードはアメリカをはじめとした国々への輸出も行っている。コロナにより一旦休止せざるを得なくなったが、また輸出再開に向けて動き出しているそうだ。
最近は『Japan Beer Times』といったビールに関する英語と日本語のバイリンガル媒体なども登場してきている。ベアードビールのラベルにも漢字がデザインの中に盛り込まれているので、海外に向けた日本らしさのアピールにもなっているだろう。クラフトビール市場の拡大は世界的な動きであるだけに、外国人スタッフの人脈を通じて日本発のビールが海外に広まっていけば面白い。
【後編】に続く↓
■ 会社・店舗案内
ベアードブルーイング
〒410-2415 静岡県伊豆市大平1052-1
https://bairdbeer.com/