引っ越し
2021年4月、引っ越しをした。
新型コロナウイルス感染症の拡大が収まらず、東京では特に感染が広がっていた。
私は週に数日、仕事で都内に出かける必要があったため、私自身の感染リスクや高齢化している地域の状況を鑑みると、修善寺から離れるという選択を考えないわけにはいかなかった。
また、子どもたちは小学校や保育園に通っていたため、私が感染すれば、間接的に小学校、保育園に感染が広まってしまう可能性もある。
そういうことで、小学校や保育園から私の勤務状況について報告を求められることも多くなった。児童や園児の命を守るためには当然の対応であったと思うが、それらの報告や学校行事への自粛要請などは、やはり精神的にきついものがあった。
次第に自分がけがれているように思えたし、仕事へ行くのに罪悪感を覚えるようにもなった。特に苦しかったのは、子どもたちが肩身の狭い想いをしていることだった。
この1年、子どもたちと何度も話し合い、市町村や教育委員会にも相談へ行き、一時的に伊豆半島の北部の地域へ引っ越すことにした。伊豆半島の北部は、「三島駅」と「熱海駅」と新幹線の止まる駅が2つあり、新幹線で40分程度で都内に着くため、都内へ通勤している人が多く住んでいる。東京へ通勤している人が多くいる地域であるため、周囲の理解や学校の対応も進んでいた。近くに親類も住んでいたことから、臨時的にその地域にアパートを借りて修善寺の家を残したまま二拠点の生活を始めることになった。
引っ越しにおける転校で、特に心配していたのは、上の子だ。彼女は極度の人見知りだった。私も極度の人見知りであるため、初めての人の前だと上手く返事が出来なかったり、自分から声をかけることができない彼女の気持ちは手に取るように理解できた。引っ越しから2ヶ月、彼女は新しい環境になじむのに苦戦していた。
先週の土曜日、土肥温泉に用事があったため、久しぶりに彼女と二人きりで出かけることにした。どんな悩みでも打ち明けられるほど器の大きな親だとは思われていないことはわかっているけれど、二人きりでのんびり海でも眺めていれば、何かしら打ち明け話もできるだろうと思ったのだ。
土肥の海
松原公園の目の前の海辺に座って、しばらくぼうっと二人で海を眺めた。時刻はお昼前だったので、お昼は何が食べたい?とか、帰りに温泉に寄りたいね、などと話をしていた。
土肥の海は終始穏やかで、大きくも小さくもない波音をバックミュージックのように流してくれていた。彼女は私の腕にこつんと頭をもたれかけ、
「ママ、昨日ね、いいことあったんだよ」と言った。
私は彼女の肩を抱き、
「何?給食ハムカツだった?」
と聞いた。もちろん彼女はそれを否定したが、そこから本題に入るのには様々な手続きを踏まなければならなかった。彼女はかわいい女がよくやるように、クイズ形式で会話を進めるのが大好きであった。
「ハムカツよりもっとうれしいこと。まだまだ答えてもいいよ。ヒント欲しい?」
私はヒントをもらわず、早く答えが知りたいので、社交辞令で3つくらい適当で見当違いなことを答えた。それに対して彼女はくすくすかわいらしく笑っていた。
「難しいな、もうわかんないや」
とあきらめたふりをすると、やっとしびれを切らした彼女は、
「あのね、おともだちが出来たんだよ」
と驚きの告白をした。私にとっても大ニュースでここ数ヶ月の中で一番うれしいクイズの回答であった。
引っ越してから約2ヶ月。学童にお迎えに行っても誰とも遊ばずに、いつもロッカーの前でお迎えが来るのをじっと待っていた。参観日に行って、先生が「近くの人とペアを作ってください」と言ってもひとりぼっちだった(私もいつもひとりぼっちだったし、そのペアを自由に作る制度が大嫌いだった)。家庭訪問では、「学校では一言もしゃべりません」と先生は心配していた。布団に入り、「修善寺に戻りたい。おともだちに会いたい」と泣きついてきた夜もあった。その姿があまりに健気なので、仕事が休みの日に学校をずる休みさせようとしたが、「学校休んだらばあばが心配するから」と私の誘惑を振り切って泣きながら学校へ行ったことも何度かあった。
そんな彼女にともだちが出来たのだ。こんなにうれしいことはない。
「ほんと?!すごいね!」
私は彼女を力いっぱい抱きしめた。彼女は嬉しそうに照れ笑いをしていた。
ともだちの条件
「本当にすごいね!どうやっておともだちになったの?なんでその子はおともだちなんだって思えたの?おともだちになるには何かひみつの条件があるの?」
私は溢れる疑問を次々と彼女へぶつけた。
彼女はひとしきり考えると、
「あのね、条件はね、3つあるかな」
と言った。なるほど、その3つを満たした相手が現れたのだ。
私は興味深く彼女の話を聞いた。
「ひとつめはね、自分に合う子」
「自分に合う子?鬼滅の刃が好きとか?すみっコぐらしが好きとか?」
私は前のめりになって質問する。
「鬼滅の刃が好きとか、すみっコぐらしが好きな子はいっぱいいるでしょ?そうじゃなくて、声の大きさとか、しゃべる多さとか、歩く速さとか、そういうのが一緒の子」
彼女の話を要約すると、自分のペースに合う子かどうかを見極めるらしいのだ。しゃべりすぎたり、声が大きかったり、はしゃぐ子は苦手なようだ。当初、転校生として関心を集めていたころには、明るく積極的で活発な子が話しかけてくれたようなのだが、彼女はその子たちとはうまく話せなかった。私もその現象はよく分かる。人気者で明るい子が怒涛の如く話しかけてくれると緊張と畏まりで上手く話せないのだ。
彼女があまりにもしゃべらないので、そのうち明るい子たちは離れていった。すると、今度は大人しい子たちがひっそりと近づいてきてくれた。大人しい子たちは最初、黙って娘と一緒に絵を描いてくれたようだ。彼女は絵を書いているうちにぽつぽつとその子たちと会話することが出来るようになった。
小学2年生にもこんな複雑な人間関係がすでに存在しているのだと感心した。私も学生の時、初めて心を許せそうな大人しい落ち着いた女の子を見つけたときにはときめいたものだ。その子の方が少し勇気を持っていて私に質問をしてくれる。そして私はゆっくりとその質問に答えていく。彼女の話を聞いていると何だか甘酸っぱい記憶がよみがえった。
「ふたつめはね、いやな遊びでも一緒に仲間に入ってあそんでみること」
これは、ドッチボールや鬼ごっこなど、自分が嫌いな遊びでも、その子が誘ってくれたなら一緒に仲間に入って遊んでみるということらしい。
「え、嫌だったら仲間に入んないで、その遊びが終わるまで待っていればいいじゃん」
と私はいじわるを言った。
「だからママはともだちがいないんだよ。嫌だなと思ってる遊びでも、ともだちがいれば楽しくなるんだよ」
何だか私はこの言葉に感動してしまった。
「みっつめはね、“約束”すること」
これは、次の休み時間どこどこで会おうね、とか、一緒に体育行こうね、とか、明日なになに持ってくるね、とか約束をすることだそうだ。なるほど、彼女にとっての「約束」は言語化されたともだちであることの確認なのかもしれない。約束を交わすことで目には見えなかった好意や想いが、手に取り、触れることのできるものとして具現化されるのだろう。
私はなんだか星の王子様のキツネの話を聞いているような感覚になった。とても大切で、人生において宝物にしておきたくなるような話だ。
「そうなんだね。その3つがそろうとおともだちなんだね。よかったね。えらかったね」
私はまだまだ小さな彼女の肩をぎゅっと引き寄せた。こんな小さな体で辛い2ヶ月を乗り越えていたのだと思うと涙が止まらなかった。
彼女の学生時代は始まったばかりだ。今後もいろいろな人間関係で悩むことが出てくるだろう。自分が歩んだ苦悩を彼女も歩んでいくのかと思うと憂鬱になる。もし彼女が致命的に悩み、学生生活に絶望を感じたときに、
「学校に行きたくない」ときちんと言える信頼関係を築いておきたい。
そして、学校へ行かないのも後ろめたいことではなく、ひとつの立派な選択肢であることを伝えていきたいと思う。
行きたくない場所へは行かなくていいのだ。
学生の世界は狭くて深くて残酷だ。その世界がすべてであると思い込んでしまう。
私は何度も彼女に伝えていく。彼女自身を大切にしてもらうために。
「人生は一度きりで、何度でもやり直しがきく。嫌なことは我慢しなくていい。楽しいと思うこと、やりたいことだけをしようじゃないか」