修善寺近辺にはお遍路の起点・終点の修禅寺のほか、いくつかの札所が点在しています。そのうちの一つのお寺を訪ねてみました。
いかにも山里のお寺という趣で人影もなく境内もひっそりとしています。
にわか仕込みの作法で参拝し、般若心経を唱えます。物音一つない静寂の中でひとり慣れない経を詠じているとこんな「にわか」な私でも五蘊皆空の世界、というか「自然に抱かれて一体化する」ような、ふとそんな不思議な感じをおぼえます。さて、ひととおり作法を終えてお目当ての御朱印を貰おうと辺りを見回しますが本堂にはやはり誰もいません。隣の事務所らしき建物のインターホンを押しても返答がありません。思い切ってお寺の電話をしてみました。「御朱印をいただきに来たのですが。。」と要件を告げると、10分位待って電話の人がやってきました。その着古したジャージ姿の男性は御朱印を差し出しながら、「本日はこれを差し上げますが、本来今はコロナ禍なので外からの参拝はお断りしています」とまずきつい一言。
「もともと弘法大師は病気を鎮めてくれるお坊様です。地元の人は病気を持ってくる外来者を快く思っておらず、お寺としても万が一檀家さんへの感染があったら大変なので、お遍路さんはお断りせざるをえない。どうかコロナ禍が収まってから来ていただきたい。」
お坊さんらしい穏やかな口調ですがその目は穏やかではありません。今は参拝に訪れても「外からの一元さんは迷惑だ」ということのようです。
そういわれてしまうと一言もありません。申し訳ありませんでした、と謝ってお寺を後にしました。その後帰り道の途中で他の2つのお寺に寄ってみましたが、いずれも人影もなく、最初のお寺で怒られて意気消沈した私はもはや御朱印を求める勇気もなく街に戻りました…。
受け入れる側の立場と気持ちを考えれば、外出自粛の折にウイルスの蔓延する東京から来た私に100%非があります。でもそのことを十分わかっていながらも何かモヤモヤした気持ちがしばらく残りました。
甘えかもしれませんが「お祈りに来たのに何もそこまで言われなくても…」「同じ街の温泉街では集客のプロモーションまでしてるのに…」と。
帰宅して落ち着いてから改めてこの日の出来事を考えてみました。
伊豆の「お遍路」があまりうまく浸透していないのはなぜなのだろう?土地の人が外からの人を嫌がっているように思えたのはなぜなのだろう?
これらの問いについて、これはあくまでも仮説ですが、以下のような「事業」としてのお遍路振興の難しさがあると思いました。
第一に、振興の主体になるそれぞれのお寺の事情が背景にあるのかもしれません。
地方の人口減少、高齢化は檀家の減少とともに葬儀、法事等でなり立つ寺の経営をあやうくします。加えてお寺自体の後継者問題もあります。跡継ぎがいなくなれば自然と無人寺になってしまいます。現に少なからぬ札所が無人化しており、隣町の寺に朱印の代理を頼むといった状態になっています。お遍路の前に、お寺の存続自身が危ういのかもしれません。
第二に、促進する母体の存在です。
復興事業といっても、伊豆に点在する88ものお寺をまとめるだけでも大変なことと思います。上記のように色々な事情のあるお寺の意見を集約し事業を推進するには、強力かつ忍耐強い推進母体のリーダーシップが不可欠でしょう。当然資金の問題もあると思います。それに加えて周辺の自治体や交通事業者、宿泊事業者など様々な人々の協力を築いていくのは大変なことに違いありません。
第三に、地元の人々の理解です。
お寺や推進母体がいくら頑張っても地元の人々の共感や協力がなければ「事業」は根付かず地方から浮いた存在になってしまいます。温泉街など限られた区域の中であれば「観光運命共同体」のような一体的な空気も生まれるのでしょうが、伊豆全域を対象とするお遍路はそうはいきません。他の土地でもそうですが、何もしなければ「観光やってる人たち」と「地元で暮らす人たち」の間がとげとげしくなり、そのコンテクストから後者は観光客を単なる「余所者」として見てしまいがちです。そうならないためにも「事業」のみならず「文化」としてのお遍路を地元の人々に改めて理解してもらう必要があるでしょう。例えばお遍路が根付いている四国では、地元の人が巡礼者に休憩所を提供したりお茶を出したりする「ご接待」の習慣があり、人々は参拝者を進んで「おもてなし」することが自身の御利益に繋がると信じているそうです。そこまでのことを求めるのは無理にしても、少なくとも外からの参拝者を警戒するのではなく、温かく迎え入れる文化風土が育つ必要があると思います。口で言うのは簡単ですが容易なことではないと思います。
そして今回のコロナ禍は以上のような種々の問題を一気に凝縮して顕在化させたような気がします。
観光としての「お遍路」という提案は確かに、過疎地域に人を呼び込み、交通、宿泊や飲食需要を生み、リピーターを生むうえでも有効かもしれません。
でもそうした打算だけではうまくいかないことも今の現状は示していると思うのです。
受け皿がなくなり、促進する母体は長続きせず、地方活力の減衰、このままではお遍路の未来はないも同然かもしれません。
このまま廃れていくのでしょうか。何もしなければ答えはイエスだと思います。
でも、あまりにももったいないと思います。
時代を問わず、苦行や修行を伴わなくても、病気や恋、将来のこと、家庭や仕事の悩みの中で自分探しや癒しを求める心、誰かのために祈りたい心、健康を求める心はなくならないでしょう。「パワースポット」という言葉が定着したのもその証左でしょう。伊豆は空海ゆかりの修禅寺という大きな拠所を持っています。そんな伊豆が、様々な人々の祈りや思いを受け止める場を提供するためにお遍路の復興を図ることは、たとえ観光や地域振興という世俗的な目的であったとしてもそこに意味はあると信じます。
後継者、お金のこと、色々問題はあるかもしれません。でも一番必要なのは、そこに暮らす人たちと事業者、行政が一体となった熱意と、なによりそれを推進するエンジンの存在であると思います。また、訪れる側の人もその地その時を楽しみながらも地元の方に気持ちよく受け入れていただけるような配慮をわすれずにいることが大切なのだとおもいます(今回の私の訪問にはそれが欠けていました。大変反省しています)。
もし、関係者の方がこの拙い文を見つけていただいたなら、是非この機会にもう一度考えていただきたいと思います。伊豆好きの一人として心から応援したいと思います。
最後に、今の、そしてこれからの時代にマッチした 伊豆らしい「お遍路」文化が定着することを祈っています。それを祈りにお遍路してみたいものです。