2025年2月14日、バレンタインデーに修善寺温泉読書会が開催されました。
バレンタインデーなどとは疎遠になってしまった中年の私。
持ち寄られたお菓子にチョコレートがあり、参加者のみなさんに
「今日、バレンタインデーだものね!」と言われて気が付く始末。
選書をしていただいた主催者さんからも「バレンタインだからこその選書」と言われ、驚く私。
課題図書は、横光利一の『春は馬車に乗って』。
この物語を、全力の愛!と感じる人もいれば、ぎすぎすしたけんか?、に感じる人もいれば、なんとなく物悲しい…、と感じる人もいて。
今回も楽しい読書会となりました。
Contents
海のある風景
小説には所々に海の風景描写が出てきます。
・海浜の松が凩に鳴り始めた。
・海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。
・海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。
(横光利一『春は馬車に乗って』)
これは海のそばで暮らしたことがないと分からない感覚なのかも、との意見に納得。
私も伊豆半島といえど、海のない森の中の中伊豆地域で育ったので、海とはほぼ無縁。
時々、仕事などで海辺の町に泊まると、夜の波の音が大きくておびえてしまう。
この大量の水が行ったり来たりするエネルギーについて考え、それが私が寝ている間にも営み続けられ、轟音を立て続けていることにどうしても慣れないのだ。
だけど、どうしても海辺の町へ泊るとなると、海の近くにある宿を選んでしまうし、もし別荘を買うお金があったら、海一列目を喜んで選ぶんだろうと思う。
それは、海を知らない者が抱く海へのあこがれであり、実際に海一列目に住んだら、私なんかは一晩だって一睡もできそうにない。
クリスチャン
主人公の妻は、病床に臥せている。
物語は二人きりの家の中で繰り広げられ、二人はその二人きりの空間の中ですぐに言い争いをする。
自分のそばをひとときだって離れてほしくない妻と仕事や家事などでちょこちょこと彼女のそばを離れてしまう主人公。
彼女は「檻の中の理論」を持ち出して、彼と彼女自身を傷つける。
妻はとうとう食欲がなくなると、主人公に聖書を読むようにせがむ。
それは作中において何度か繰り返され、主人公は自身の語りえない気持ちを代弁するように聖書を読み続ける。
「どうして聖書なのか?」と、どうしても気になる。
そこで検索してみると、横光利一とその妻はクリスチャンであったことが判明する。
話はそこで、
「ある作品の背景を調べる派か、それとも作品だけを楽しむ派か」
という話になった。
たとえば、ある音楽が気に入ったら、その歌っている人の人となりを調べたり、作詞や作曲をした人を調べたり、そういうことをするかどうか、ということだ。
参加者の中でも分かれた。好きな作品があったらそれを創った人のことを調べたり、背景を調べたりする人と、作品自体を純粋に楽しむ人と。
例えば、文学においてはその背景を調べる派である方がよりその物語を深く味わうことが出来るのだとも思う。
私はそのために大学で文学を学んでいたというところもあるからだ。
というのも、ある時、大学の時の先生が授業で
「池袋のバーで川端康成を語るライブをやるから来なさい」
と宣伝していて、それを見に行ったことがある。
その先生はライブハウスみたいなところで、酒を片手に、川端康成の生い立ちについて2時間くらい息もつかずに話し続けていた。
先生がギターを持っていれば、その話は歌に聞こえたと思う。
その話はおもしろくて、ずっと聞くことが出来たし、それは本当に悲しい話だった。
そして、帰り道で、私は伊豆の踊子を読んだけど、それはまったく伊豆の踊子を読んだことになっていなかったんだってことに気が付いた。
そういうことで、背景を知るとその作品の奥深くまで入り込むことが出来るんだな、と思う一方で、村上春樹なんかが物語は感じるままに読んでほしい、なんてコメントすると、ああそうか、なんて思ってみたり。
要するに、私は時と場合により、調べたり、調べなかったり、いい加減な人間なので、黙ってみんなの意見を聞いていた。
与えるものは与えてしまった
作中に、
もうどちらもお互に与えるものは与えてしまった。今は残っているものは何物もない。
(横光利一『春は馬車に乗って』)
という一文がある。
これがバレンタインデーにふさわしい横光利一の愛の言葉である。
日々の生活を繰り返していく中で、お互いの要素を交換し合い、それが完成し、二人の要素は全く等しく、同質になったのだろう。
今はもう、ふたりの差異は何もない。
同じ日々、同じ悲しさ、同じ喜びを感じる中で、ふたりは溶け合い、同じ要素の同質なふたりの人間になったのだ。
愛とはそういうものなのかもしれない。
それは遺伝子を超え、性別を超え、思想を超え可能な行為なのだろう。
全くの同質になったふたりは、お互いをお互いの中で育んでいく。
それは別れを超え、時間を超え、現実を超えていくのだ。
おわりに
修善寺温泉読書会は、課題本を読んで来なくても、本を読む時間があり、だれでも会話に参加できます。
話したくない人は、「話したくない」人形を自分の前に置いておくことで、みんなの意見を聞いているだけの参加もできます。
持ち寄ったお菓子を食べ、お茶を飲みながら、ゆるゆるとした文化的な時間を過ごすことが出来ます。
次回は、3月29日 課題図書はヘミングウェイ「老人と海」です。
ぜひ、ご参加ください!
修善寺温泉読書会
修善寺温泉場のどこかを会場に、月1回のペースで開催している読書会です。課題図書を当日読んで感想を言い合ったり、好きな本を紹介しあったり…開催月ごとに内容が変わります。
聞くだけ・居るだけ参加の方も大歓迎です!
最新情報は、伊豆の読書会・文学関連イベント情報サイト「伊豆読書会」をご確認ください。