熱海海上花火大会は、春季・夏季を中心に、秋季や冬季の数回も加え、年に合計10回以上開催されます。しかし、令和2年度、新型コロナウィルスの影響で4月18日(土)に開催中止を余儀なくされました。その後も5月、6月、7月と中止が続きます。この状況は観光地にとって危機的状況です。このため、ホテル・旅館組合、観光協会、商工会議所、熱海市役所が一丸となって8月5日の花火大会で復活させることになりました。人々が待ち望んだ熱海海上花火大会を取材するため熱海市に伺いました。
写真提供:熱海市 熱海市役所 観光建設部 観光経済課 観光推進室
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1952年(昭和27)開始の熱海海上花火大会
熱海海上花火大会は1952年(昭和27)が始まりです。昭和24年8月、キティー台風による高波の災害、そして翌昭和25年には熱海駅前火災、更に10日後には中心街の979戸が焼失した大火に見舞われました。街の復興とその努力に報いるべく、昭和27年に花火を打ち上げたのが始まりです。
熱海海上花火大会の特徴は、三方の山に囲まれる「天然のスタジアム(シアター)」で打ち上げられる花火とその大音響を鑑賞・体験できることです。取材した夜もフィナーレを飾る大空中ナイアガラは圧巻でした。
2020年12月6日(日)ライター撮影
8月5日の開催に向けた熱海海上花火大会のコロナ対策
2020年8月5日の開催を振り返って、コロナ対策について、熱海市役所 観光建設部 観光経済課 観光推進室 遠藤さんにお話しを伺いました。
熱海海上花火大会は、毎年、旅館組合が主体となって行っていました。しかし、旅館組合だけでは花火観賞者のコロナ感染防止対策を徹底するため、オール熱海と呼ばれるホテル・旅館組合、観光協会、商工会議所、熱海市役所が一体となって開催することとなりました。行政には観光のプロはいないが、つなぐ役割を意識した姿勢が大事と観光推進室 遠藤さんは語っていました。
花火大会の復活は、2020年8月5日の開催を目指しました。来場する観光客に対して、うちわの配布、看板でのソーシャルディスタンスの周知などを行いました。また、宿泊者には無料観覧席を準備して対応を行いました。さらに、日帰り客は、会場でのソーシャルディスタンスや鉄道乗車時間などの分散を推奨しました。
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○*○ ○○ 〇 / ̄ 熱海市役所 観光建設部
○○/∠___○*○ 観光経済課 観光推進室
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賑わいがある駅前商店街や熱海銀座を散策
熱海駅から花火会場に向かう途中、熱海市の街を散策しました。駅前商店街や熱海銀座は観光客で賑わっていました。熱海市の観光は、1990年初頭のバブル崩壊で急速に衰退した時期がありました。この時期、観光客のニーズは、団体客による宴会歓待型から、今では個人や家族による体験・交流型への変化していきました。しかし、この環境の変化に対して、街は変わることができませんでした。
ところが、2010年代になると、民間、行政が連携して街の賑わいの復活を目指しました。今では、駅前の商店街や熱海銀座は空き店舗は無く、飲食の人気店は行列が並ぶ店舗もあります。熱海市の観光政策は、2013年(平成25年)頃からターゲットをハイレベルシニアに加えて、F1層(20歳から34歳までの女性)に絞ったことが功を奏したようです。熱海市を散策して、遠藤さんが語った、行政はつなぐ役割を意識した姿勢という言葉が受け継がれていると感じました。
干物銀座の網代へ足をのばす
熱海市の南に位置する網代は、干物銀座と呼ばれる干物造りが盛んな土地でしたが、現在では干物店を営む事業者は減少しました。今も夫婦で営む「森新ひもの店」にお話しを伺いました。
森新ひもの店では、代表の房之助さんが材料にこだわる、干物作りを長年続けています。伊豆半島沖相模湾及び駿河湾産の新鮮な原魚を主としていますが、季節により日本各地はもとより、新鮮良質な輸入魚等も精選吟味の上で利用しています。また、食品保存料等無添加、無着色の手造り、天日干しにて加工製造しているそうです。
網代からも熱海湾から打ち上げる花火を鑑賞できます。干物をつまみにお酒と花火鑑賞もいかがでしょうか。
気象データで見る網代の干物
網代の干物は、魚に脂が乗る晩秋から冬にかけてが旬。毎年、12月中旬には「網代ひもの祭り」が行われ、炭火で焼いたアジやイカなどの干物約5000枚と、ワカメの味噌汁などが無料で振る舞われています。
図表は網代の天気出現率を示しています。網代は魚に脂が乗る晩秋から冬にかけて晴天の出現率が高くなります。この自然の恵みを生かした網代の干物は絶品です。
編集後記
冒頭に述べましたように、熱海海上花火大会は街の復興とその努力に報いるべく、昭和27年に花火を打ち上げたのが始まりです。「One for All, All for One」はラグビーの精神論に由来する言葉で「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」を指します。チームスポーツでは、メンバーはチームの勝利という目的があるからです。
花火大会は昭和、平成、そして、令和の時代に受け継がれました。ホテル・旅館組合、観光協会、商工会議所、熱海市役所にオール熱海は、一丸となってコロナ禍の中で人々の努力に報いる「希望の華」を打ち上げました。