今回は、伊豆市在住の南馬 久志さんにお話を伺いました。
■ プロフィール
南馬 久志 (なんば ひさし) さん
かぜつち模様染工舎 代表
神戸西区出身。 「かぜつち」は漢字で書くと「風土(ふうど)」。 風土とはその土地の気候・地質・景観などの環境のことです。 私たちは伊豆という土地に根を張り土に触れ「染」を生業とし、 この土地でものづくりをしていきます。
途中から南馬 絵理さんにもお越しいただき、染色についてのお話を伺ったところ、たくさんの思いを語ってくれました。
伊豆の正藍染とは、どのようなものですか?
伊豆で蒅(藍の葉を堆肥状に醗酵させた原料)を、堅木の灰と水を使用した灰汁だけで再び醗酵させて染め液を作って染める、日本古来の藍染め(正藍染)です。
藍染を始めたきっかけは?
僕と妻はもともと、京都の服飾の専門学校で勉強をしていました。
卒業制作で、デニムを脱色させたときにとても面白かったことや、先生から職人に向いていると言われ、京都の小森さんという染の工房に丁稚奉公で3年半修業をさせてもらいました。
そこでは、化学染料で、衣類などに使われる生地を染める加工をしながら、手捺染によるシルクスクリーン法と薬品を用いた後加工を学びました。
この工房の小森さんは、とても厳しい方でしたが、染の技術が高く、世界的に有名なブランドのテキスタイルを加工していました。工房には実際にデザイナーさんが来ることもありました。
染は、大きく分けると植物によるものと薬品による2種類がありますが、その工房で、化学薬品を使った手捺染を主に行っていました。
ある時、小森さんに勧められ、ジャパンクリエイションという展示会で行われた審査会に、自分の作品を応募しました。
その時は、柿渋、木酢酸と酸化鉄を反応させた木酢酸鉄(第一塩化鉄)によって柿渋を金属結合させて、テキスタイルを作り、入賞することができました。
そのころから、植物を使ったものを作りたいと思うようになりました。
化学薬品での手捺染をやめたそうですが…?
もちろん、化学的に作られたものも、自由度が高く、再現性があり、美しいものもありますが、柿渋は日光、湿度や温度によって色が濃くなっていき、コントロールできない所に魅力を感じました。今思えば柿渋の意味を知らない、ただ柿渋を使いたかっただけの若気の至りだったなと、楽しい時間でもあり苦い思い出でもあります。さらに、当時は中国では大量生産真っただ中で、染色業に関する技術が中国企業に蓄積されていき、国内から仕事が無くなっていきました。当時の職人たちの仕事もなくたたずむ横顔が今も脳裏に焼き付いています。やはり、安さを追求した物造りは良くないと思いました。
そして、創るだけではなく、価値の高いものを企画する側に回りたいと考え始めたころ、益久染織研究所の生地に出会いました。そして、益久染織研究所に入社しました。