今回は南伊豆町の南西部に位置する子浦地区をレポートさせていただきます。
子浦地区は江戸時代、風待ち港と言われた集落です。当然ですが当時は車も鉄道も無く海運が圧倒的に盛んであった時代、江戸から陸路で5日かかる南伊豆において、海路で半日の子浦は相当の賑わいがあったことが想像できます。また子浦は14代将軍家茂が嵐を待つために寄港した港町としても知られています。集落では将軍家茂をもてなすため伊勢エビを使った将軍鍋を献上し、今でも子浦地区の郷土食として伝えられています。
将軍家持公が滞在した西林寺の先に進むと子浦の漁港が広がります。正確には妻良漁港の一部であり、南伊豆町誌によると、その昔、大国主命が子と妻をそれぞれ分けて上陸させたことが「妻」良と「子」浦の由来になっています。東北地方に3年居住し漁港を廻っていた私にとって、湾内に小舟が並ぶ風景は懐かしく感じます。
堤防まで歩くと脇に日和山遊歩道が始まる階段の登り口があり、「ウバメガシの群落」の案内があります。ウバメガシは海岸近くの風の強い場所に生えるドングリのなる木で備長炭の材料としても知られます。これから自然豊かな森の中を冒険していくようなわくわく感が高まります。
日和山遊歩道は全て回ると1時間30分のコースであり、今回は夕方で時間の関係もあり、途中の三十三観音まで登ってみることにしました。スタートから少し急な坂道が続きますが、木々の間から雄大な海や山の眺めが見え、夕日と相まって絵になる風景が続きます。きっと江戸時代も日和山に登り、ここから天気模様を日和見したのでしょう。
麓から細い山道を進むと5分ほどで三十三観音に着きます。木々に囲まれた半洞窟は天井から大小デコボコの岩が突き出している空間を造り出しており、自然の神秘性を感じることができます。そしてその下には三十三体の観音像がずらっと並んでおり、何とも不思議な光景が現れます。
観音像をいつの時代に誰が安置したのかは謎ですが、近くで確認するとそれぞれ言葉が刻まれていることが分かります。「刻」の文字の語源は「刀できざむ意」です。一つ一つの銘文にどんな意味が込められているのか想いを馳せます。
南伊豆町の資料によると、日和山遊歩道は伊豆半島ジオパークの一部でもあります。三十三観音が安置されている崖は海底火山の噴火に伴って発生した土石流の地層で浸食されえぐられたくぼ地でジオサイトであるとのことでした。
現在子浦地区の人口は200人ほどに減少しています。しかしながらジオパークとしての自然、風待ち港としての歴史、将軍鍋の食など、子浦地区には特有の地域資源が豊富にあります。
ぜひ現地を訪問し子浦の素晴らしい文化を肌で感じてくださいね!