青野川ふるさと公園
青野川ふるさと公園は河津桜の並木沿いにある。芝生の広場があり、広々と遊具が設置されている。駐車場は公園の目の前にあり、子供が許すなら(許してくれはしないだろうが)、寒い日や携帯の充電がなくなってしまったときなんかは、車にいながら子供を見守ることが可能である。(実際、私も携帯の充電がなくなったため、車で充電しながら子供を見守ろうと思ったが、そうはいかなかった)
青野川ふるさと公園のバナナの滑り台の話をしておこう。青野川ふるさと公園のバナナの滑り台は、降り口が3つに分かれており、子供はいずれかのバナナから降りてくることになる。出発点はひとつなので、子供は自ら右か、左か、真ん中かを選んで滑り降りてくるわけだ。
「ママ、どこに降りてくるか当ててみて」
子供がそういうので、私は真ん中のバナナの出口に立って待つ。
すると子供は右へ体をひねり、右バナナから降りてくる。
「ブッブー、こっちでした」
そりゃそうだろう。
①私は自分の選択をバナナの降り口の前に立つことによって意思表示する。(滑ってきた子供を受け止めるためでもある)
②子供は滑り台の上から私の立ち位置を確認することが出来る。
③彼らは体を少しひねることで行く先のバナナをいとも簡単に変えることが出来る。
こんなゲーム当たるはずがないのだ。
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海風が強く吹いていた。その風にはふんだんに花粉が含まれており、私は涙とくしゃみが止まらなかった。それでもその無理なゲームは延々と続けられる。
ただ、そんな辛い状況は私だけではなかった。
青野川ふるさと公園にはそんな無理なゲームにつきあわされている親がたくさんいた。彼らはじっと風を耐え、花粉症の者はなすすべなくくしゃみをし、子供の安全を見守る強固なガードマンに徹していた。
こんな時、子供と一緒に時間を忘れて楽しめる大人になりたいと常々心がけている。しかし、彼らと私とでは歳が離れすぎており、望むものが違いすぎていた。
何せ私はもう花を愛でるような歳になり、彼らはまだバナナゲームに熱中するような歳なのだ。
もし、何時間も夢中になって子供と遊ぶことが出来る大人がいるなら、彼らこそが本物の子供の心を持ったまま大人になった人たちなのだ。
子供は大人になれるけど、大人は子供には戻れない。いくら心がけても損なわれた純粋さを取り戻すことはできないのだ。(悲しいけれど)
弓ヶ浜
滑り台の着地に失敗し、テンションが下がった子供は、突然、「もう帰る」と言い出した。転んでいない方の子供はまだテンションが高く、「いや、海に行くんだ」と言っている。
私もここまで来たのだから海を見ないで帰るわけにはいかないと、転んでテンションが低い方の子供をあの手この手で励ます。
青野川ふるさと公園から弓ヶ浜までは車で5分程度だ。弓ヶ浜の近くには休暇村南伊豆があり、日帰り温泉があった。
見るだけ、眺めるだけ、のはずであった海鑑賞会であったが、子供たちは海に触れたくてたまらないようだった。
どうせびしょぬれ、砂だらけになるのだから、「温泉に付き合うなら」を条件に海で遊ばせることにした。
子供は半そで、半ズボンになり、弓ヶ浜の弓なりになった浜辺を走り回っていた。転んだことやすねていたことはもうどこか遠い昔のことなのだろう。
私は流木を枕に横になった。遠くで波打ち際を走り回る子供たちを監視しながら、うとうとしていた。監視係は延々と続く軽い罰のようなものだ。子供というのは一瞬でも目を離せばどこかに行ってしまう。そういう不幸なニュースを何度も目にしてきた。
子供たちには彼らを大切に思う関係者がたくさんいて、私は彼らに委任され、管理、監督役を務めているのだ。私が一瞬でも隙を見せ、彼らを見失ってしまえば、私は関係者から数々の糾弾を受け、自分を責め、一生悔いながら生きていくことになるだろう。
このように子供の監視係というものは、常に最悪の事態を想定し、自身を戒めながら任務に当たらなければならない。つい出来心で海辺でうたたねでもしようものなら、目覚めた瞬間に世界は最悪の事態になっているかもしれないのだ。
そう、一瞬眠りに落ちた瞬間に、世界の事態はがらりと変わっていることがある。
目を凝らすと、遠くの波打ち際に寝そべり、ゴロゴロと転がっている子供がいた。うんざりするような光景だ。この子が他人の子供なら「元気がいいわね」と笑えたことだろう。しかし、おそらくそれは私の連れてきた子供だった。
私は重い腰を上げ、海辺遊びの打ち切りを決めた。泥だらけになった服を近くの水道で洗い、バスタオルで子供を巻いて、黙って温泉に向かった。
怒る気力もなかった。すべては流木の枕でうとうとしていた自分のせいなのだ。