「旅」の合言葉
IZU TRAIL Journey は、伊豆半島南部の松崎新港(静岡県松崎町)をスタートし西天城高原を北上して修善寺総合会館(静岡県伊豆市)を目指す距離約70㎞/累積標高差(+)3,242m(-)3,162mのトレイルランニングのイベントです。ITJは伊豆最大のトレラン大会であるだけでなく、世界大会の日本代表選手選考レースを兼ねるなど、今では日本でも指おりの大会として定着し、12月という寒い時期にもかかわらず全国から数多くのトレイルランナーが集まってきます。
「旅」への想い
さて、今年で10回目を迎えたITJですが、この大会を語るうえで総合プロデューサーの千葉さんの存在を欠くことはできません。千葉さんはもともと地元出身で学生時代は陸上に打ち込み、その後沼津市の観光協会で働いていた経験があり、そうした中でこの大会の着想を得たそうです。また、千葉さんと共に本大会を支えるコースプロデューサーの鏑木毅さん(プロトレイルランナー)はトレラン界では知らない人のいないレジェンドで、千葉さんを支えコンビでこの大会をここまで育ててきました。
そんな千葉さんが一貫して育ててきた大会理念は「持続可能な伊豆の新たな旅」の提案。2011年に企画を始めたものの、それまで聞いたこともないトレランというスポーツにとまどう地元の反対もあり、第1回大会を開くまでには3年の時間を必要としたそうです。自然保護、危険防止、地域振興、そして現在は感染症対策…さまざまな課題と向き合いながら千葉さんが目指してきたのは、単にスタート・ゴール間の移動に留まらない自然、風土、人々との交流を大事にする「旅」というコンセプト。このため、選手は前日の受付時やスタート時、レース途中のエイド(補給地点)での出発時などあらゆる場面で「頑張れ!」という普通の声援ではなく「良い旅を!」という声かけを受けます。エリートランナーでない大部分の選手はこの応援で、不思議なことに苦しい中でも旅を楽しもう、という気持ちが生まれてきます。このように選手、大会スタッフ、ボランティアが一体となってこの大会の良い雰囲気を作っているのです。
70kmの旅のはじまり
さて、スタートです。まだ真っ暗な午前6時。松崎漁港を出発します。
ゲートをくぐり、海岸沿いの道からいきなり林道に入りどんどん高度を上げていきます。序盤の10㎞強で約800mの標高差を登ります。気温は6度、スタート前は震える寒さなのですが長い登りで滝汗になり、着ていたジャケットをザックに収納します。やがて日が昇り最初のピークを過ぎると今度は長い下りです。最初のエイドまで26㎞の長丁場なので水を多め(1.5ℓ)に持ち、こまめに補給しながら走ります。林道からシングルトラックの狭くなる地点では渋滞が起きます。そうこうしているうちに(などと一言ではすまないのですが)、第1エイドに到着します。ここまでで約4時間が経過しています。
旅のお供は伊豆のご当地グルメと富士の絶景
エイドでは松崎町観光協会の方が桜葉餅でもてなしてくれます。もちろん地元のツートップ、永楽堂さんと梅月園さんの振る舞いものです。包装に入った餅と、生菓子で牛皮を使いこしあん、粒あんのはいった計3種類の桜葉餅が提供されています。
ボランティアの方に話を聞いてみると、松崎町は日本一の桜葉の生産地でこのお菓子も明治時代から続くものだとか。選手の中には「また来たよ~」と顔なじみになる人や、大会の試走で松崎に来た時にお土産で何箱も買っていく人もいるそうで、そうしたリピーターの人と再会して話すのが楽しい、とおっしゃっていました。一方で、お腹を空かせたランナーが美味しそうに食べてくれるので止められないけど、後ろからきたランナーが来た時には残っていなくて申し訳ない思いをすることもあるそうです。このエイドにはその他バナナ、コーラなどの補給品もあります。自分も目一杯腹ごしらえをしてここをあとにしました。
二本杉峠(旧天城峠)へ向かって再び登ると、伊豆山稜線歩道に出ます。ここからは比較的アップダウンが少なく「走れる」区間が多くなります。この日の最高峰猫越岳(ねっこだけ、1034m)を過ぎたあたりで富士山の大パノラマが広がります。
気持ちよく走ってそのまま第2エイドの仁科峠に飛び込みます。午後1時、第1エイドを出発してから14km,3時間が経過していました。
仁科峠では西伊豆町観光協会の方が「しおかつおうどん」をふるまってくれました。しおかつおうどんは西伊豆のご当地グルメ。田子港でとれるカツオを潮でしめて干したものを細かくふりかけ状にしてうどんにかけたものだそうです。またうどん以外にもそば、ラーメンやごはんにかけたりと地元ではこの潮鰹は大活躍で是非これを多くの方に味わってもらいたいとおっしゃっていました。
疲れたカラダに鰹の塩気がしみわたるようで2杯あっという間にいただいてしまいました。ボランティアの方は強風の中長時間立ちっぱなしで大変だろうと思って聞いてみると毎年これが楽しみでご自身もレースに出るべく練習しているそうです。また、うどんの他にもドーナツや熱いお茶等が供されていて長い時間滞在している人も多そうでした。離れがたい気持ちはよ~くわかります。
あと30㎞、旅の残り時間が気になり始め…
仁科峠で40㎞を経過、ここから後半戦です。次の土肥駐車場エイドまでは11㎞、そこから達磨山まで更に3㎞であとは下り基調で15㎞の距離です。なだらかなアップダウンを繰り返しながら旅は続きます。この辺までくると程度の差はあれ誰でも筋肉痛や膝や腰など、どこか痛みを我慢しています。そんな時のランナーの合言葉は「全部気のせい!」。また登りは殆ど歩きになり、下りや平坦な箇所だけやっと走っている感じです。達磨山を越えるまでには日もすっかり低くなり、気温もますます下がってきます。止まってしまうと体温が下がって寒いだけでなく低体温症になってしまうので何とか動き続けます。やがてあたりは真っ暗になり、再びヘッドライトを照らしてゴールを急ぎます。制限時間は大丈夫だろうか…
達磨山にいたる長い登り。点々とランナーの列が続きます。
10時間半経過。駿河湾に沈む夕日。
12時間経過。やがて道は下り基調になり林道や山道を連続走で通過していきます。残り10㎞、この時点でゴール関門時間まで2時間の余裕があったのでここでようやく完走できることを確信します。やがて遠くに修善寺の街明かりが見え始め、舗装道から修善寺小学校の前に出てきました。
ここからはウイニングランです。沿道の軒先からおばあちゃんが「がんばったね~」と声をかけてくれます。旅館の前を散歩する人が「おかえり~」と言ってくれます。皆に手を振り「ありがと~」と返します。これまでの12時間の疲れも忘れて嬉しさとほっとしたのとが混じり合った不思議な感覚に包まれます。そして光が一層あかるくなり、仲間の待つゴールゲートに飛び込みます。あ~終わった~。
旅の終わりに
そんなわけで、伊豆の人々を、おいしいものを、そしてとっておきの自然をたっぷり13時間かけて苦し楽しませてもらった70㎞の旅でした。レースという面だけに目を向けると、男子トップは6時間19分、女子のトップは7時間6分でゴールしているので自分など彼らの約2倍の時間をかけてゴールした劣等生です。でも、トップエリートの選手はともかく、自分のような大部分のホビーアスリートにとっては着順やタイムは二の次で、なによりも景色や声かけあう瞬間や、誰に言われるでもなく自分の意志の命じるままに走りきることに喜びを感じてこの大会に参加しているのだと改めて思います。長距離のトレイルレースは確かにいきなり誰でも完走できるようなものではありませんが、日頃の準備とある程度の経験値、何よりその瞬間を楽しんでかつ諦めない気持ちさえあれば、ゴール時にはとっておきの達成感を得ることが出来ます。ITJはそうした意味でまさに「旅」に相応しい舞台を提供してくれると思います。みなさんも来年にむけて「良い旅を」経験してみませんか。