今回は、ベアードブルーイングのベアード さゆり さんにお話を伺いました。
はじめに
ベアードブルイングは、ベアード・ブライアンさんとさゆりさんの夫妻により立ち上げられたクラフトビールを作るブルワリー(醸造所)である。日本におけるアメリカンスタイルのクラフトビールの製造・販売においては草分け的な存在で、少しでもクラフトビールに興味を持った方であれば知らない者はいないだろう。
創業は2000年、沼津で小さなブルワリーとして始まり、現在は伊豆・修善寺の工場でビールの製造を行っている。東京や横浜にも早くから出店し、ベアードからの出身者も多く新しいブルワリーを立ち上げるなど、静岡のみならず日本のクラフトビール業界においても大きな存在感を持っている。
私自身、仕事柄アメリカやイギリスに赴くことが多く、ホップの効いたペールエールなどの美味しさに気付いてしまった一人であり、もちろんベアードビールをはじめとした静岡のクラフトビールは日頃から楽しんでいる。
今回はそんなベアードブルーイングの直営店、ビールステーション三島にお伺いし、創業者であり副代表を務めるベアードさゆりさんにお話しを伺う機会をいただいた。【後編】
【前編】【中編】はこちら↓
地域の連携
静岡クラフトビール協同組合
日本全国でクラフトビールを作るブルワリーの数は右肩上がりで増えていることをご紹介したが、静岡県も例に漏れずクラフトビールのブルワリーが年々増えている。
静岡県には現時点で34のビール醸造所があり、もはや日本酒の醸造所よりも数が多いそうだ。2023年時点での都道府県ランキング※では東京、神奈川、北海道、長野に次ぐ第5位である。ちなみにブルワリー数で47都道府県における静岡県の偏差値を算出したところ59.7となった。(※きた産業調べ)
ビール作りそのものは少量から始められるかもしれないが、生まれたてのブルワリーがこれをビジネスとして存続させていくことは容易ではない。地域のブルワリーが自治体などとも連携して発信力・ブランド力を高めていく活動は全国的に行われている。
このような流れの中で、2021年に静岡クラフトビール協同組合が設立された。当初は5つのブルワリーが中心となって始まったが、その後立ち上がったものも含めて今では14もの事業者が参画する組織となっている。この協同組合により、県内では定期的にビールフェスが開催されるようになった。
静岡県内では特に東部地域にブルワリーが多く、その中の沼津三島だけでも8を数える。こういった背景から県東部のブルワリーと沼津市、三島市といった自治体が連携し、東駿河湾クラフトビール地域循環共生圏という枠組みも始まっている。この中では、製造の過程で発生したモルト粕の農業への再利用などを協同で行うといった活動を、補助金も受けて実施していくという動きがある。
ベアードブルーイングはこれら静岡県内の連携の枠組みに不可欠な存在として参画している。ベアードとしては、このような活動が地域のブルワリー全体としての盛り上がりや品質の底上げに繋がっていくことを期待しているそうだ。
であれば、このような共同事業として、今までに無い新しい企画が進んでいるのではないですか?と問いかけたところ…
「そうね、それはまだ内緒!」
と嬉しそうに口を閉ざしたさゆりさん。これからもベアードのみならず、静岡のクラフトビールシーンから目が離せない。
アスルクラロ沼津
ビールの話をしているのになぜサッカーの話題なのか、と思う方もいるだろう。全国的にもサッカーで有名な静岡県。その中心地は清水や藤枝といった中部地域であるが、県東部にもJリーグのチームがある。それがアスルクラロ沼津だ。近年は”ゴン中山”こと中山雅功氏が監督に就任するなどしてその存在感や知名度は増している。
「ベアード家の四人姉妹のうち、二人がアスルクラロのガールズチームでお世話になったんです。アスルクラロさんも社会貢献をすごくやっているので、思いが一緒だなという感じがしますね。」
そのような繋がりもあって、ベアードブルーイングはアスルクラロ沼津のスポンサーのひとつとなっているのだ。愛鷹運動公園でアスルクラロの試合をご覧になる際は、ぜひゴール裏の”Baird Beer”の看板に注目していただきたい。
プロスポーツの観戦といえばスタジアムグルメ無しには語れない。ベアードはホーム愛鷹運動公園での試合開催時にはスタンドを出してビールを提供している。アスルクラロ沼津のオリジナルラベルを貼ったビールも販売している。

「アスルクラロでベアードを知ったという方も結構いらっしゃって。スタジアムでお客さんと顔見知りになって、アウェイの試合の時には沼津のタップルームに観戦しに来てくれたりするんです。」
いわゆるパブリック・ビューイングといった催しであれば、地元にプロスポーツチームを抱えるパブではよく見られる光景かもしれない。ところが、ベアードは全国から訪れるアウェイチームのファンからも愛されているのだという。
「特に松本山雅のサポーターの方は凄いんです。元々J1にいたチームだけあって、ホームの沼津より数が多かったりして。沼津に行けば美味しいビールがあるからと楽しみにしてくれていて、スタンドの開店前から並んでくれる方もいるんです。」
スポーツとビールというのは切っても切り離せない関係にあると言えるだろう。今後もアスルクラロ沼津の試合を観戦をする際はぜひベアードビールを片手に熱狂してもらいたい。
これからの展望
クラフトビール市場の成長
ベアードブルーイングは、日本でもアメリカと同じくらいクラフトビールが広く定着し、市場も大きくなっていくだろうという展望の下で事業を進めてきた。
昭和世代の方であれば、アメリカのビールといえばバドワイザーのような軽く飲みやすいビールを想像するかもしれない。しかし、米国では1980年代にクラフトビールを造るブルワリーができ始め、その市場や存在感は急激に増加していくことになる。これをアメリカにおけるクラフトビール・ルネッサンスと呼ぶ。
ブルックリン・ラガーやグース・アイランドといったビールは日本のスーパーでも普通に見かけるようになっている。こういったメジャーなクラフトビール・ブルワリーは揃ってその時期に創業している。ブライアンさんが修行した西海岸はそのムーブメントの中心であったとも言われている。
日本はと言えば、エール系やホップの効いたアメリカやイギリス由来のビールがその存在感を強めているのは間違いない。何しろ喉越しスッキリが売りのピルスナーを手掛けてきた大手も”クラフト”のイメージの下で新たな商品を開発してきているのである。
それでもやはり本場の国と比較するとクラフトビール文化はまだまだ浸透しておらず、周辺のアジア諸国と比較してもなお日本の市場の成長は遅いとさゆりさんは言う。
「もちろんアメリカが一番ですけど、台湾もシンガポールも韓国も、日本より市場が成長しているんです。こんなにも美味しいものが大好きな日本人なので、もっと伸びていって欲しいと思いますね。」

確かにアメリカにおいては地域のクラフトビール・ブルワリーの存在感が日本よりも大きいと感じる。例えば私が住んでいたボストンでは、およそどのバーに入っても地元のボストン・ブルワリーが作るサミュエルアダムスというビールが通常版と季節限定版のセットでメニューに載っているのが一般的であった。ブルワリーの工場見学も人気であり、グラスやTシャツなどのオリジナルグッズも豊富に揃えていて観光名所としての役割も担っている。
「酒税の違いもありますね。アメリカは生産量に応じて段階的に酒税が変わる仕組みになっていて、小さいブルワリーでも事業が成り立つんです。」
法律はもとより、歴史も文化も大きく異なる国ではあるが、日本でも首都圏以外の大都市圏などではまだ十分に成長の余地があるようにも思える。2025年にはビアEXPO2025が開催されるなど、従来に無い規模の取り組みが全国的にも始まっている。右肩上がりで成長を続ける日本のクラフトビール業界の動向からは今後も目が離せない。
ベアードの挑戦は続く
ベアードブルーイングのブログなどを見ると、仲間で撮った集合写真がよく見られる。会社としての出発点が親族や親友からの出資であったこと、苦難の時期を彼らからの協力なくしては乗り越えられなかったことを考えれば、スタッフやお客さんの区別無く事業にかかわる人たちとの繋がりを大事にする姿勢にも納得がいく。
一切地縁の無い沼津にやってきて以来、伊豆を拠点とし成長を続けてきた。沼津も修善寺も三島も、観光客が集まるようなエリアではあるが、必ずしも観光需要を第一に考えているわけではない。
「なるべくなら地域密着ですね。お客さんにも結構ご近所さんが多いんですよ。さっきも70過ぎのおじいちゃんの常連さんがいたんですが、飲み歩きがすごく好きな方で、いい料理屋さんの情報なんかも教えて貰えるんです(笑)。」
東京や関西など広く店舗を展開しているが、結局はそれぞれのお店のご近所さんが一番のお客さんであり、ベアードを支えていると言えるのだろう。
また、ベアードブルーイングは日本のクラフトビール業界においては全国に名を知られた老舗であり、近年立ち上がってきている多くのブルワリーから一つの指標として見られているのは間違いない。
「私たちはあるがままやっているだけなので、そういったことを強くは意識していないですね。ただ、何もバックグラウンドがなくて、あんなに小さい規模で立ち上げたのは私たちが最初でしたし、そこから今の規模になっているのを見て”自分たちも将来そうなりたいな”と思ってもらっているのかもしれませんね。」
創業から年月が経ち、知名度が高くなってきても、さゆりさんのビールを語る姿におごる様子は一切ない。大きな工場への移転や直営店の展開など事業拡大を続けているが、それらはあくまで創業以来のビジョンを追求する手段に過ぎない。

「多様性を楽しむためのプレミアムなビールとして飲んで欲しいですね。ぜひきちんとグラスに注いで香りなども併せて楽しんでもらいたいんです。」
ワインや日本酒、ウイスキーのような、手の届く嗜好品としての飲み物であって欲しいとさゆりさんは考える。
「若い人たちが新しく何かに興味を持って夢中になるという時に、その選択肢の中に入っていて欲しいと思いますね。本当はワインなどと同じで、色々な料理やシーンに合わせて飲み分けられるものなんですが、まだまだすそ野が広がっていないと感じているんです。」
今年はベアードブルーイング創業から25周年。生まれた時からクラフトビールが周囲にある人たちがお酒を楽しみ、新しい文化を作る時代になってきている。
さいごに
今回、さゆりさんにはお店に立って接客をしながらインタビューに応じていただき、非常に感謝している。そのおかげで普段のお店の雰囲気をそのままに感じとることができた。
また、ベアードのWebサイトにはブライアンさんの想いが綴られたページや、さゆりさんのブログが掲載されており、非常に読み応えのあるものになっている。ぜひ読み漁ってもらえれば楽しんでいただけると思う。
もしこの記事を読んで、”そういえば前から気になっていたんだよな。”という方がいたら、躊躇なくベアードのお店に足を運んでみて欲しい。今回取材させていただいた三島のお店はガラス張りで外からもよく見えるし、隠れ家的バーのような高い敷居もない。もちろん近場のスーパーでボトルを手にとっていただいても良い。
そして誰と会話するでもなく、じっくりビールと向き合って一口ずつ丁寧に味わっていただきたい。のど越しと爽快感を味わうビールとは全く違う世界が広がっていることに気付くだろう。その瞬間、あなたはもうクラフトビール、そしてベアードビールのファンになっているはずだ。
伊豆にはワイナリーもあり、近年ではクラフトジンやウイスキーの醸造所なども現れてきている。これからも益々このような地域に根ざしたお酒の文化が花開いていくことを期待しているし、きっとその中心にはいつもベアードビールがいるに違いない。
■ 会社・店舗案内
ベアードブルーイング
〒410-2415 静岡県伊豆市大平1052-1
https://bairdbeer.com/