ゆみこさんは、藍染作家だ。
藍染めをやっている人は「青い手」をしていることが多いが、ゆみこさんの手は白くきれいな手をしている。
藍染めというのは奥が深く、虜になる人が多いと思う。
わたしの知っている染色作家さんたちも殊「藍染め」に関しては一目置いているような感じがする。
ゆみこさんが「染色」に出会ったきっかけは、地域おこしの一環として始まった「わさび染め」。
伊豆半島の真ん中の山間地では、わさびの栽培が盛んであり、静岡県の水わさび栽培は「世界農業遺産」に認定されているほど。
そんなわさびの一大生産地である伊豆半島の中伊豆地区では、やはりわさびでの村おこしを考えないわけにはいかないのである。
「わさび染め」は、わさびの葉や茎を細かく刻み、それを煮た煮汁が染液となる。
染め上がりの色は見事なわさびグリーン。
村おこしのストーリーとしてはなかなか上出来だ。
わさび染めを通じ、植物から染料を抽出する「草木染め」に出会ったゆみこさん。
それからすっかり草木染めにのめり込んだ。
ある時、近くに住んでいる藍染作家の先生と出会い、そこへ通うようになった。
藍染めの奥深さにすっかり魅了されたゆみこさんは、自宅の農業用の倉庫や蔵を改装することに。
農業用の倉庫は工房に、蔵は趣のあるギャラリーとなった。
大きな染色工房と作品を展示するギャラリーを手にしたゆみこさんは、長年勤めていたお仕事の退職をきっかけに藍染作家の道を歩き出す。
藍染めの先生のもとへ通いつつ、独学でも藍染めを学んでいったゆみこさん。
藍染めの真髄は、「染め」の工程ではなく、「藍を建てる(藍染め液を作る)」工程にあるように思う。
藍染めは、藍の葉に含まれている色素(インディゴ)を取り出すことによって、深い青色、藍色を染めることが可能となる。
おそらく、藍の葉からインディゴを取り出す「藍建て」という作業が人々を惹きつけてやまないのではないかとわたしは見ている。
学術的、科学的な原理は検索サイトに任せるとして、わたしの文学的な見解はこうだ。
藍の葉の中には「インディゴ」という星の王子様の黄金のきつねのような引っ込み思案な存在がいて、藍染作家というものはその引っ込み思案な「インディゴ」を「なつかせ」、「引き寄せよう」とあの手この手を使う。
簡単にはなびかないインディゴを振り向かせるのが楽しいのだろう。
高尚な人々は時になかなか手に入らないものを手に入れようと努力することに喜びを見出すものだ。
ゆみこさんは「藍建て」の工程を「子育て」そのものであると言っていた。
毎日毎日、甕の中の藍の様子を伺っては、「木灰」を加えたり、「ふすま」を与えたりする。
藍染めを始めたころは、藍の様子が気になって、夜中の3時に起きては甕を覗いていたそうだ。
「でも、手をかけすぎてもだめなのよね」
遠い目をしてゆみこさんはそう言う。
初夏の昼下がり、冷たいミカンのゼリーとブルーベリーと麦茶をごちそうになりながらゆみこさんのきれいな白い手を眺めていた。
ミカンのゼリーは手作り。
ブルーベリーはお庭で採れたものだそうだ。
ゆみこさんの丁寧な暮らしぶりがその美しい手に表れているようだった。
「きみのバラをかけがえないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」
ひどいバラに振り回されていた星の王子さまにキツネはこう言った。
時間をかけて向き合えば向き合うほど、丁寧に接すれば接するほど、それはかけがえのない存在になっていく。
そしてかけた手間が膨大なほどそれは替えの利かない存在になっていく。
星の王子様にとってのわがままなバラは、ゆみこさんにとっての藍なのだろう。
ゆみこさんの工房で、ゆみこさんのお話を聞いていると、至る所で星の王子様のエピソードが思い出された。
人生の大切なものをそっと提示してくれるそんなやさしい時間であった。