伊豆のくらしに興味のある皆さまには、ある3月の夕方に起きた事件をお話ししなければならない。
以前の記事で、「子供の監視係というものは、常に最悪の事態を想定し、自身を戒めながら任務に当たらなければならない。つい出来心で海辺でうたたねでもしようものなら、目覚めた瞬間に世界は最悪の事態になっているかもしれないのだ。」と、偉そうなことを書いた。
そんな偉そうなことを書きながら、ある3月の平日の夕方に、私はその監視係の最中に子供を見失ってしまった。
A4用紙がなくなってしまったのと、庭の物干し台がDIYできないかと思い、子どものお迎えの後にカインズホームへ買い物に行った。
ちなみにこの買い物の参加者は、私、小学生1名、保育園児1名で、時刻は18時を過ぎたあたりだ。
私は角材が並んでいるコーナーで木やアルミなどの棒を見ていた。小学生と保育園児はそんなものには興味がないので、どんどん店の奥に入っていってしまった。でもそういうことは日常茶飯事なのである。いつもなら、私が角材コーナーにとどまっていれば、しばらくして彼らがやってきて、「まだ?」と声をかけてくるはずだった。
しかし、その日は小学生が「まだ?」とやってきただけだった。でもこういうパターンもよくあることだ。我々はそれぞれの体内時計で生きているので、それぞれが飽きる時間もバラバラで、しびれを切らした者から順に呼びに来るのだ。
角材を見てもよく分からないし、その棒はとてつもなく長いので私の小さな車では運ぶことが出来なさそうだったので、物干し台のDIYはあきらめることにした。
そのあと、小学生とA4の紙を購入し、(この小学生が絵を書くのにコピー用紙をバカみたいに消費するのだ)会計の段になって、やっと保育園児を探し始めた。
小学生に弟を探して連れてくるように指示をし、会計を済ませた。袋詰めをしていると、小学生がやってきて、「見当たらないんですけど」と報告をした。修善寺に住んでいる人ならわかると思うが、カインズホームは広い。私はその時、小学生の手抜き見回りで保育園児を見逃しているだけだと思った。
小学生と一緒にカインズホームをぐるぐると3周くらい探し回ったが、保育園児は見当たらない。そんなことはこれまで一度もなかった。大抵1周半見回ればどこかしらでお互いを見つけた。3周目を回ったあたりで背筋がぞわっとした。3周回って見当たらないということはいくら広いカインズホームだからと言って、ここにいないことは明らかであった。
徐々に体温がなくなっていくのを感じながらサービスカウンターに行って、「4歳の子なんですけど、いなくなっちゃったみたいです。一緒に探してもらえますか」そうおねがいをしていた。サービスカウンターの人が着ている服とか髪型とか何かしつこい質問をし続けているのを、「そういうことじゃなくて」とか「そんなことはどうでもいいから」とかそんな風に思っていた。
修善寺のカインズホームの付近にはノジマとか、マックスバリュとか、100円ショップが連なっている。
「トイレは見ましたか?」と店員は言った。
「トイレなんかひとりで行けないんです。いつでも私がついていって…」
私はもう泣きだしていた。すかさず小学生がきちんとしだして、
「弟は小さいので、まだひとりでトイレに行けません。それにトイレに向かって名前を呼んだけど返事はありませんでした」
と答えた。
「じゃあ、隣の店に行っているとは考えられないけど、念のため、ノジマとかマックスバリュも探してみます」
カインズホームの人は親切に付近の店にも捜索願を出してくれた。
私と小学生はしっかりと手をつないで、消えてしまった保育園児の名前を呼びながら一帯の店を泣きながら歩き回った。
私と小学生の頭には1件の不謹慎な事件がよぎっていた。三島市で声掛け事件が発生していて、伊豆市でも注意をするように勧告を受けていたのだ。
「もしかしたらその変なおじさんに連れていかれちゃったのかな。絶対そうだよね。今頃変な人の変な車の中で助けを求めてるよね」
私は号泣しながら小学生にそう言った。
「でも三島からそんなにすぐにここに来る?それにKくんは知らない人についていっちゃだめだって知ってるよ」
小学生はこの一瞬の間に私の精神年齢をはるかに凌駕した成長を遂げていた。
「でも無理やり連れてかれちゃったかもしれないよ。だってまだ小さいんだもん。そうだ、防犯カメラ!防犯カメラを見せてもらえばいいんだ」
私は取り乱して、カインズホームの人に防犯カメラを見せてくれと頼んだ。カインズホームの人はやさしく冷静に私をなだめた。
「お母さん、落ち着いて。何時頃はぐれたのかよく思い出して。そこからどれくらい時間がたったのかきちんと見直してみましょう」
私はA4の紙が欲しかっただけなのだ。
それに風が吹くとすぐ倒れる物干し台をDIYでウッドデッキにくくりつけたかっただけなのだ。
今日は、静岡で会計かなんかのセミナーをして、なんかよく分からないおでんとかたこ焼きとかをお土産で買って帰ってきてて、これからそれらを温めてご飯を食べて、お風呂に入ったり、YouTubeを見たり…
さっきから携帯がずっとなっていた。知らない番号だった。あとにしてくれよ、と思ったが、誰かに八つ当たりしたかったので、電話に出た。
「ごめんなさいね。連絡網の電話番号を見て電話してるんだけど、STの母です」
あの、ちょっと今、と言う前に彼女はこう言った。
「Kくんが総合会館の近くをひとりで歩いていて、Aさんが心配して今一緒にいるんですけど」
突然いろいろな登場人物が出てきてパニックになった。
「総合会館ですか?」
全く信じられなかった。なぜならカインズホームから総合会館は2.5kmほどあるのだ。
彼はトイレもひとりで行けないのだ。それがどうして2.5kmも離れたところにいるんだろう。
私は監視係の責務とか、カインズホームの捜索部隊の神対応とか、三島市に現れた変質者とか、情報を駆使して私に連絡をくれたママたちとか、出来心のDIYとかをごちゃごちゃにして、泣きじゃくっていた。
「ありがとうございます。すぐにむかえに行きます」
カインズホームの捜索部隊に息子が見つかった件を報告すると、貫禄のあるおじさんはこう言った。
「子供っていうのは平気で3kmくらい移動するからね。でも、見つかってよかった」
そうなの?そういうものなの?3kmも?ひとりでトイレもいけないくせに?
STくんのお母さんにAさんとつないでもらい、総合会館で待ち合わせをした。Aさんの車にわが息子がちょこんと乗っていた。泣いていなかったし、なんなら自信ありげな表情をたたえていた。
「この時間でしょ。小さい子がひとりで歩いてたから心配になっちゃって。これ修善寺保育園の園服でしょ?名札もついてたし、修善寺保育園に通っている子のお母さんに聞いて回ったのよ」
私はこの時ほどこの小さな地域の情報網に感謝したことはなかった。この情報網をデメリットだと思っていやがった時もあったと思う。だけどそんな些細なことはどうでもよくなるくらい私はこの瞬間、この偉大な情報網に感謝せずにはいられなかった。
家に帰って、どうして歩いてお家まで帰ろうとしたのか息子に聞いてみた。
「あのね、なんかね、気になるものがあって、それをずっと見てたら、ママがいなくなって、それで何だかすごい時間が過ぎちゃったんだと思って、ママが帰っちゃったと思ったの」
君も親になればわかると思うけど、子どもがいくら何かに夢中になって1時間も2時間も、あるいは半日、一日中、気になるものを眺めていたとしても、置いて帰ったりなんか絶対しないんだよ。
「もういい加減帰ろうよ」って、君が泣き叫んでも無理やり連れて帰るんだから。親っていうのはそういうものなんだ。
もうおでんもたこやきも食べる気がしなくて、お風呂に入って、その日はそのままぴったりくっつきながら眠った。
この世に「絶対」というものがあるのなら、それは「親は買い物の途中に子供を『絶対に』置いて帰ったりしない」ということだと思う。
この時ばかりは、「絶対に」という形容動詞を使っていいに決まっている。