7月の三連休に能登半島の被災地を視察しました。レポートを書かなければと思いつつ、気づけばもう秋を迎えています。今回の視察は、私が所属する静岡県中小企業診断士協会の災害対策研究会による企画であり、災害対策を専門とされる先生方にご同行いただきながら、和倉温泉や白米千枚田、輪島市の朝市跡などを巡りました。
はじめに
この記事を「MATOMETO」に寄稿しようと思ったのは、伊豆半島と能登半島が地理的に似ていること、そして能登での震災の教訓が伊豆でも活かせる、という記事を目にしたことがきっかけです。2025年7月以降も、カムチャッカ半島付近の地震による津波や、9月5日に静岡を襲った国内最大級の竜巻など、災害は立て続けに発生しており、私たちの暮らしは常にそのリスクと隣り合わせにあることを痛感します。
中小企業診断士としての仕事でも、防災や災害対策に関わる案件は増えてきています。災害対策研究会でも日常的に災害に対する知識を深めていますが、今回の視察では、机上の学びでは得られない被災地の現状や現地に漂う空気感を肌で感じることができました。被災地では希望と無力感が交錯し、その両極端の感情を行き来しながら、人々が少しずつ復興へと歩みを進めている現状を知ることができました。
地形と自然条件
伊豆半島と能登半島は、いずれも海に突き出た地形で、外部からの支援が届きにくいという共通の特徴があります。山地が海岸まで迫っており、平野部は限られていて、漁港と小さな集落が点在しています。このような地形は観光地としては魅力的である一方、災害時には道路が寸断されやすく、孤立する集落が出やすいという課題を抱えています。
一方で、両半島には違いもあります。伊豆半島は火山活動によって形成され、天城山系を中心に標高の高い山々が連なっており、急峻な地形が特徴です。温泉地が多く見られるのも火山活動の影響です。これに対して能登半島は隆起によって形成されたため、内陸部はなだらかな丘陵が広がります。ただし外浦側は断崖絶壁が多く、道路が限られているため、災害時には交通が遮断されやすいという弱点があります。
人口分布と居住特性
人口の分布にも両半島で違いが見られます。伊豆半島の人口は40万人で、静岡県東部の沼津市や三島市などの都市部に集中しています。半島南部や山間部では過疎化が進んでいますが、首都圏からのアクセスが良いため観光客や交流人口は比較的多く、コロナ後は外国人観光客も増えつつあります。
一方、能登半島の人口はおよそ17万人と伊豆半島の半分ほどです。七尾市や輪島市といった半島の付け根に近い地域に人口が集中する一方で、先端部や外浦地域では高齢化と人口減少が急速に進んでいます。
視察の際には、震災後に金沢市へ避難した人々の中には、地元に戻らず移住先で新たな生活を始めるケースが多いことを伺いました。震災が人口流出を一層加速させている現状です。これは伊豆半島でも十分に起こり得ることだと思われます。地震や津波で家を失い、利便性の高い都市部で暮らし始めれば、そのまま定住を選ぶ人が少なくないでしょう。家を再建して元の土地へ戻るには、経済的な負担に加えて、土地への強い愛着や地域に対する思いが必要なのだと強く感じました。
主要都市との距離と交通網
伊豆半島は、首都圏からのアクセスが良好と言われています。東京から新幹線で三島駅までおよそ1時間で到着し、そこから私鉄やバスを使って半島各地に移動できます。さらに、伊豆縦貫自動車道(沼津〜下田間、約60 km)を整備中で、完成後には「沼津〜下田」が60分程度で結ばれる見込みです。観光客の多くが日帰り可能なほどの距離感で、半島内の移動利便性も徐々に向上しつつあります。
これに対して能登半島は、主要都市である金沢市との距離が大きく、公共交通機関はバスが中心です。能登空港はありますが路線数が限られており、輪島市や珠洲市など半島の先端部から金沢市まで車で2時間以上かかる場所も少なくありません。震災時には主要道路が被害を受け、救助車が被災地までたどり着くのに7時間半を要した例が報告されています。(国土交通省人事院 能登半島地震による能登有料道路の被害と復旧)
能登半島の被災時の状況を鑑みると、伊豆半島も交通利便性を高めてはいるものの、主要道路が限られているという脆弱さは共通のリスクです。もし主要道路が崩れてしまえば、瞬く間に“陸の孤島”と化す可能性は否定できません。
災害時と観光資源
今回の震災では、地震の揺れに加えて大規模な火災が発生し、輪島市の朝市通り周辺が広範囲にわたって焼失しました。輪島の朝市は、日本三大朝市のひとつに数えられ、千年以上の歴史を持つとされる伝統的な市場です。軒先を利用して商店や地元住民が品物を並べ、観光客との交流が生まれる独自の形態は、地域のまちづくりの成功例としても知られてきました。しかし、一帯が焼失した現在、元の場所に再建するのか、あるいは漁港近くに移すのか、地域では議論が続いており、まちづくりそのものを一から考え直さざるを得ない状況に直面しているそうです。

観光資源への被害も深刻でした。珠洲市の観光名所である「見附島(軍艦島)」や輪島市の「トトロ岩(剣地権現岩)」は一部が崩落や変形を起こし、景観に大きな影響を与えました。さらに、国指定名勝である白米千枚田も多くが崩れ落ち、復旧には気の遠くなるような労力と時間が必要とされています。
伊豆半島においても、同様の事態は十分に想像できます。南海トラフ地震のような大規模災害が発生すれば、多くの観光資源が失われる可能性は高いでしょう。長年にわたり地域を支えてきた観光資源が一瞬にして消失してしまったとき、果たしてそこから新しい物語を紡ぎ出す力が残されているでしょうか。そうした視点に立てば、防災計画は単なるインフラ復旧にとどまらず、地域の将来を見据えたまちづくり、観光地づくりの計画と一体で考える必要があるのだと強く感じました。
観光地ならではの防災課題
和倉温泉の「多田屋」を訪れた際、特に印象に残ったのは「観光客を含めた避難計画」の必要性でした。震災が発生したのは1月1日で、当日の宿泊客の多くは常連客だったそうです。スタッフ全員が宿泊客の名前や顔を認識していたため、避難の際には安否確認を迅速に行い、無事に避難場所まで送り届けることができたというエピソードを伺いました。現場での機転と日頃から築かれていた信頼関係が、危機的状況において大きな力を発揮した事例だと感じました。

建設業や宿泊業といった事業者は、市町と災害時協定を結ぶことが多く、宿泊業の場合には「被災者の受け入れ」を求められるケースも少なくありません。しかし、大規模災害時には宿泊施設そのものが被害を受ける可能性が高く、受け入れ体制を整えるのは現実的ではありません。むしろ宿泊者の安全を第一に考えれば、速やかに避難所へ送り届けることこそが最善の対応であると言えます。
一方で、行政の視点からは新たな疑問も浮かび上がります。果たして避難所の設計は、観光客を含めた滞在人口を前提としているのかという点です。もし住民数のみを基準にしているのであれば、観光シーズンのように一時的に人口が大幅に増える状況には対応できません。(※国(内閣府・防災行政)が示す「避難所運営ガイドライン」などでは、避難所が被災者の一時生活拠点であることを前提とし、あくまで「災害で家を失った人々」が対象であり、住民数を中心に想定が組まれているそうです。)
さらに、近年は外国人観光客も増加しており、多言語での情報発信や文化・宗教の違いに配慮した避難生活の設計も欠かせません。宗教上の理由で食べられない食材がある人もいますし、情報が母語で伝えられなければ、避難生活そのものが困難になります。
観光地であるがゆえに、避難所にも「おもてなし」の視点が求められます。災害時こそ、誰一人取り残さないホスピタリティの高い避難所設計が必要なのだと、現地での学びを通じて強く感じました。
おわりに
今回の能登半島視察では、大きな被害を受けた和倉温泉、白米千枚田、輪島商工会議所を訪れ、多くの方々の生の声を伺うことができました。これまで築き上げてきたものが一瞬にして失われても、なお元の姿を取り戻そうと懸命に汗を流す姿は、強さと頼もしさを感じました。
和倉温泉では、「和倉温泉はこれからどうあるべきか」というグランドデザインを、旅館や地域の事業者、住民が一体となって描き始めていました。白米千枚田では、気の遠くなるような手作業での復旧が続けられており、輪島市では焼失した朝市を、地域全体が納得できる形でどう再生するかを模索しています。
人が訪れる場所、人が戻ってくる場所には必ず魅力があります。伊豆半島もまた、そんな「人を引き寄せる力」を持った地域であり続けたい。能登で学んだ経験を胸に、災害に強く、そして訪れる人に愛される半島づくりを目指していきたいと感じました。