はじめに:伊豆の「お遍路」とその由来
88ヶ所のお寺を巡礼する「お遍路」の旅。
時は奈良時代。讃岐国に勉強、諸芸いづれにも優れ天才といわれた男の子がいました。将来を期待された彼は18になると京の大学に上りますが、やがて学校での勉強に飽き足らなくなってしまいます。思い立った彼は故郷四国に舞い戻り、ひとり修験の旅に出ます。厳しい修行をしながら四国の山野を幾日となく踏み分けたその末に、彼はついに悟りを開きました。そして室戸岬の真っ暗な洞窟で、彼は洞窟の外に広がる無限の空と海にちなみ自らを「空海」と名乗りました。
数年後、僧侶となった青年空海は遣唐使として中国にわたり、後に日本に真言密教(真言宗)を伝えます。彼は高僧として名を成した後、高野山で入滅し、朝廷から弘法大師の名を与えられました。この後も空海は人々に数えきれない伝承とともに記憶されました。やがて空海を信奉する人々が若き日の空海が辿った四国の修験地を巡るようになったのが遍路(四国八十八箇所霊場)の始まりといわれています。
時はくだって江戸時代。 遍路はそれまでの厳しい修験道や命がけの心願成就(このためお遍路さんはいつ死んでもよいように白装束姿で旅するといわれます)だけではなくなります。お金に余裕のある人たちによる、「お伊勢参り」のような観光も兼ねたお遍路の新しいスタイルが生まれてきたのです。
そんな広がりの中で四国以外の地でも空海伝説と結びついた「88ヶ所礼所」が開かれるようになりました。この流れで弘法大師伝説の地である伊豆にも「お遍路」が誕生したといわれています。このことについて、伊豆霊場振興会4代目会長の遠藤貴光さんは、とあるインタビューで以下のように述べています。
「伊豆八十八ヶ所霊場の歴史は長く、確認できたもっとも古いもので173年前までさかのぼります。弘法大師ゆかりの地・二十一番札所龍澤寺には『伊豆八十八ヶ所参拝』と彫られている石碑があり、これが173年前のものなのです。昭和のはじめに一度は消えかけましたが、昭和40年代に明治時代の納経帳が見つかったことで復興が始まりました。明治時代の木版や石碑なども見つかり、昭和50年に伊豆観光霊跡振興会(伊豆霊場振興会)を発足。『伊豆88ヶ所霊場めぐり』の本を発行するなど、認知を広めるために少しずつ活動を重ねてきました」
引用元:静岡県労働雇用政策課HP :伊豆にもお遍路があるんです!伊豆88遍路の旅のすすめ | ふじのくにパスポート (最終閲覧日2021年5月27日)
このように、伊豆の「お遍路」は古くから開け、その後紆余曲折を経て近年は地元の人々による観光振興と結びついた形で往時の姿を取り戻そうとしていることがわかります。